広義には、教育に関する国民の権利・人権(教育人権)の総体として用いられることがあるが、一般的には、教育を実施する主体に認められる教育内容・方法を決定する権利・権限(狭義の教育権)を意味する。
[宮﨑秀一]
教育に関する人権は、近代西欧諸国においては国家からの「教育の自由(私学設置の自由や親の家庭教育の自由など)」としてまず現れた。ついで国民の教育要求運動に応じて公教育制度が整備されていく過程では、国家に対する「教育を受ける権利」(日本国憲法26条1項、世界人権宣言26条1項)や「教育への権利」(児童の権利に関する条約28条1項)が保障されるに至った。これは当初経済的側面における教育の量的・形式的機会均等保障を主眼とするものであったが、教育・学習作用における主体性に着目し、「子どもの成長・発達する権利」(児童の権利に関する条約6条2項、29条1項)や「人間の学習する権利」(ユネスコ「学習権宣言」)という概念に発展継承されている。
現代福祉国家の機能拡大は、教育諸政策を通じて社会権的人権としての「教育を受ける権利」の積極的保障を目ざすが、その反面、自由権的教育権たる「教育の自由」を制約する危険性をはらんでいると指摘される。また逆に、臨時教育審議会(1984~87)の一部で提唱された「教育の自由化」論にみられるような、学校の設置と選択の自由化、学校設置基準、学習指導要領、教科書検定など学校制度上の基準の撤廃や緩和は、教育の多様化を促進するが、教育の機会均等(「ひとしく教育を受ける権利」憲法26条)を損なうおそれもある。実際1980年代末以降、中学校での習熟度別学級編制、大学入学年齢引下げ・飛び入学等が実行され、公立学校学区制緩和、株式会社による大学設置等が進行しつつある。地方分権と規制緩和の推進動向とも関連して、教育人権の調和的保障のあり方が、模索されなければならない。
[宮﨑秀一]
第二次世界大戦前の日本では、教育勅語を軸とする国家主義的教育制度のもと、教育は納税、兵役と並ぶ臣民の義務と観念されていた。第二次世界大戦後は、憲法が「学問の自由」(23条)と、すべての国民に「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」(同26条1項)を保障したことにより、文部省(当時)は、教育に対する強大な権限を失い、教育の条件整備と指導助言を担う機関に転換することとされた。しかし、1950年代以降、学習指導要領の告示化と道徳の時間特設、全国一斉学力テストの実施、教科書検定の強化など教育内容にかかわる施策が相次いで打ち出されるに及び、狭義における教育権の帰属(「国民の教育権」か「国家の教育権」か)をめぐる多数の教育裁判が生じた。
旭川学力テスト事件判決(1976年5月21日最高裁大法廷。以下「学テ判決」と略す)は、教育権をめぐる争点に関して、もっとも総括的司法判断であるといってよい。同判決は「国家の教育権」と「国民の教育権」を「いずれも極端かつ一方的」であるとして退け、親の家庭教育の自由および学校選択の自由、教師の教育の自由、私学教育の自由を一定範囲で承認する一方で、「必要かつ相当と認められる範囲において」国の教育内容決定権能をも認めるという折衷的解釈を表明している。
教育権を論じる際に留意すべき点は、同判決も指摘するように、「子どもに対する教育権能」の内実は「教育を実施する者の支配的権能」ではなく、「子どもの学習をする権利を充足する立場にある者の責務」としての性質をもつということである。これは、たとえば、親の教育権については、「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」との民法規定(820条)や児童の権利に関する条約の「親……は、子どもの養育および発達に対する第一次的責任を有する。子どもの最善の利益が、親……の基本的関心となる」(18条1項中段・後段)などの文言に現れている。他方、国家の教育内容決定権も「子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において」(前掲「学テ判決」)認められる。
[宮﨑秀一]
親の教育権ないし教育の自由は、本来自然法上の権利とされているが、日本国憲法上の根拠としては「幸福追求権」(13条)に含まれるとする説が有力である。民法820条は、この自然法原理を踏まえ、私法上において第三者に対する親の教育意思・判断の優先性を明言したものである。
「学テ判決」は、「親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれる」としているが、世界人権宣言(26条3項「親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する」)や国際人権規約(A規約13条3項「(父母は)自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有する」)、児童の権利に関する条約(18条・前掲)など国際条約等の規定からは、学校教育の場においても親の教育権が行使される余地がみいだされる。たとえば義務教育制度下において学校教育を拒み、いわゆるホーム・スクーリングによって教育する、宗教的理由などから特定の教育活動を拒否する、学校儀式等で国旗敬礼や国歌斉唱に参加しないなど、親の教育の自由と公教育制度・政策が矛盾・対立する場面は少なくない。
[宮﨑秀一]
教師の教育権の性格については、大学教員の「学問の自由(アカデミック・フリーダム)」に含まれる「教授の自由」(ドイツ憲法5条3項)が初等・中等学校教員にも保障されるとする説や、児童・生徒の学習権保障にとって不可欠な教育専門的自律性(オートノミー)ととらえる説などがある。前説は教師自身の精神的自由権、後説は子供の人権保障を媒介として教師の職務の特質から要請される裁量権というように複合的性格を有する。
「学テ判決」は、これら両説を踏まえて、「一定の範囲における教授の自由」を肯定する一方、児童・生徒は教授内容を批判する能力がなく、教育の機会均等の見地からも、教師に「完全な教授の自由」は認められないとした。ユネスコが1966年に出した「教員の地位に関する勧告」は「第8章 教員の権利と責任」のなかで、全体として後説に近い専門職上の自由と位置づけている(61項)。
学習指導要領から逸脱した授業の実施や教科書使用義務違反などによって懲戒免職処分を受けた高校教師3名が、教師の教育権ないし教育の自由の侵害を主張した福岡伝習館訴訟では、一審判決(福岡地裁1978年7月28日)が、「教師の教育の自主性尊重の原理」を教育基本法(旧法)から導き、学習指導要領の法的拘束性を限定的に解釈するなどして、2名の処分を無効としたが、上級審段階では3名の処分はいずれも適法とされた(福岡高裁1983年12月24日、最高裁第一小法廷1990年1月18日)。
[宮﨑秀一]
「学テ判決」は、前述した親や教師の一定の教育の自由等を侵害しない限りでは、国は「国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、……必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」とした。ただし、教育は政治的利害に支配されてはならないという点で、教育内容への国の介入は「できるだけ抑制的」であることが求められ、また、誤った知識や一方的な観念の強制は、教育を受ける権利の侵害となり許されない、として国の権能の限界をも示している。
国の教育権能の範囲・限界の問題は、教育課程編成基準として文部科学大臣(当時は文部大臣)が公示する学習指導要領の法的性格をめぐる議論に集約される。「学テ判決」は、当該事案で争われた中学校学習指導要領(1958年改訂版)について、詳細にすぎる点など教育政策上の妥当性を別とすれば、「おおむね、中学校において地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準」が、根幹となっているものと評価し、その法規性を認めた。
[宮﨑秀一]
「教育権」の所在をめぐる法的論争を経て、親、教師、国家など各当事者の権利・権限・権能につき、法解釈上一定の見解が示された現在、今後の焦点は、それら確認された権利等が、子供の「学習権」保障にかなうよう調和的かつ最大限有意義に行使されるための条件を探求することに向けられねばならない。主要な検討課題としては以下のような点があげられる。
第一に、国家が教育行政の一環として教育内容上一定の権能を行使しうるとして、中央政府と地方教育行政機関との権限配分をどのようにするか、また、地方公共団体のなかでも都道府県と市町村との関係、といった教育行政における地方分権のあり方の問題がある。中央レベルの教育課程編成基準をいっそう大綱的なものに限定し、地方ではそれぞれの実情にあわせた独自の編成基準を作成することも考えられよう。
第二に、各学校における教育活動の効果的展開が「学校や教師の創意工夫に負うところが大きい」ことは文部科学省も一貫して認めており(平成20年版『小学校学習指導要領解説』など)、とりわけ「特色ある教育活動」の展開や「個性を生かす教育」の充実などが強く求められる状況において、実質的な教育課程編成の担い手としての教師(集団)の教育専門的自律は不可欠である。とすれば、副校長、主幹教諭、指導教諭の導入(学校教育法27条・2007年改正)にみられる近年の学校運営組織の「体系化」が、学テ最高裁判決において教育の「本質的要請」に基づき「一定の範囲」で保障されるとされた教師の「教授の自由」といかに整合し、教育課程編成における教師(集団)の教育的力量の発現を促すかについて、前掲の教員の地位に関する勧告などに照らし、改めて検討されねばならない。
第三に、親の教育権との関連で、近年「開かれた学校運営」を推進するため、保護者や住民が学校に関与する機会が増大しつつあるなかでの問題である。具体的には、(1)2000年(平成12)の学校評議員(学校教育法施行規則23条の3)導入、(2)2004年からの地域運営学校における学校運営協議会(地方教育行政法47条の5)、(3)2008年からの学校支援地域本部(教育振興基本計画に基づく)、と多様な展開がみられる。しかしながら、(1)の学校評議員の導入割合は、公立学校のほぼ9割を超えるにもかかわらず、保護者・親の任命は一部であり、その役割は校長の諮問に応じて個別に意見陳述するにとどまる。(2)については、教育課程を含む学校運営事項に関する承認権をもつものの、きわめて少数の日本版コミュニティ・スクールにのみ適用される。(3)の学校支援地域本部は、中学校区を単位として徐々に拡大しつつあるが、ボランティア的支援・労力を提供することに主眼がある。いずれも、欧米における学校理事会(親を中心として児童生徒もメンバーを構成し、学校運営に関して各種の決定権限を有する)などとは質的に異なる。
[宮﨑秀一]
『兼子仁・堀尾輝久著『教育と人権』(1977・岩波書店)』▽『内野正幸著『教育の権利と自由』(1994・有斐閣)』▽『日本教育法学会編『教育法学の展開と21世紀の展望』(2001・有斐閣)』▽『日本教育法学会編『日本教育法学会年報』30号「教育法制の再編と教育法学の将来」(2001・有斐閣)』▽『兼子仁著『国民の教育権』(岩波新書)』
歴史的概念としてまた法論理としては,教育内容を決定し,実施する権能をいう。親の教育権,国家の教育権,教師の教育権などという場合がそれである。これにたいして,教育に関する国民の諸権利を包括的に教育権と称する場合もある。この場合は,教育への権利も含めて広義にとらえられた教育権とみることができる。包括的概念として用いられる場合を別として,教育方針,教育内容の決定と実施に関する権能として具体的に問題となるのは,(1)親の教育権,(2)教育権についての国民と国家の関係,(3)教師の教育権である。
(1)発生史的にいえば,教育権は子にたいする親の権利(親権)の一部をなすものであったから,家族法の生成とともに古い概念である。しかし歴史的発展のなかで,親権は子にたいする支配権ではなく,子どもの発達を保障する親の義務と解されるようになってきた。したがって今日では,親の教育権は子どもの教育への権利を充足すべき義務を意味する。また同時に,親が子どもに代わって,発達保障について社会的に要求していく権利であるとも観念される。(2)国民と国家の関係についていえば,そのいずれに教育権が帰属するかを問うのは,今日,必ずしも当を得ていない。人間的成長のための教育活動は,本質的に国民の自由な諸活動を基礎としている。精神的自由権としてこれを不当に侵害しないのが近代国家の憲法的原則である。政府に代表される国家は,国民の教育,文化活動を助長すべき責務を負いこそすれ,みずから教育的価値の決定を行うべきではない。(3)教師の教育権は前2者と若干異なる。職能的自由もしくは教育機関内での権限としての意味をもっているからである。教師の教育権は子どもの人権としての教育への権利に規定され,これに奉仕するためのものである。教師がその専門性と良心に従って教育活動を行うために教育権限の独立性が必要とされるが,それは常に国民に開かれたものとして行使すべき職能的責任をともなっている。
→学習権 →教育の自由
執筆者:牧 柾名
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