国語学者。明治41年9月5日、広島県呉(くれ)市に生まれる。1911年(明治44)東京に移住。父紹蔵(しょうぞう)(1868―1941)は工学博士。1931年(昭和6)東京帝国大学言語学科卒業。中学時代から独学で音声学を学び、第一高等学校4年修了時にノート4冊に記した『語勢沿革研究』は没後活字化された。早熟な秀才であったが、病弱で、半生のほとんどは闘病生活であった。言語学科に進学して上代特殊仮名づかいを知り、卒業後10年余りの間に約50編の論文を発表。一般音韻論、国語音韻史の分野に、透徹した論理と精緻(せいち)を窮めた考察で、多くの優れた業績を残した。『古事記』の「モ」の仮名づかいに2類の区別があること、古代日本語には一種の母音調和の現象がみられること、アマガサ(雨傘)に対するアメ、コカゲ(木陰)に対するキのような母音交替に法則性があることなど、独創的な見解はそのまま学界の定説となり、母音調和に関する指摘は日本語系統論の北方系説の有力な論拠となっている。一般音韻論では、音韻を話し手の目的観念であるとする独自の理論をたて、音韻体系、音韻変化に関する考察をも『音韻論』にまとめ文学博士号を受けた。1943年(昭和18)国語および中国語の音韻史を中心テーマとする論文集『国語音韻史の研究』を出版し、1952年日本学士院賞を受賞した。また、中国古代漢字音にも造詣(ぞうけい)が深く、奈良時代の音韻研究に関する遺著『上代音韻攷(こう)』にその一端がうかがえる。昭和27年3月13日没。
[沖森卓也 2018年10月19日]
『日本語学会編・刊『国語学』10集(1952)』
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国語学者,言語学者。広島県呉市に生まれ,東京で育った。東京帝国大学文学部言語学科に進んで国語学を専攻,1931年卒業。卒業論文は〈奈良時代に於ける国語の音声組織について〉。39-40年大正大学講師。研究の中心は上代日本語の音韻体系,音韻と音韻史に関する一般的問題にあり,上代特殊かなづかいの研究を発展させて,8世紀の日本語における音節結合の規則を発見して母音調和に似た現象のあることを報告し,また漢字音の研究から中国音韻史の研究上重要な重紐(じゆうちゆう)の問題を指摘するなど,短い生涯の間に鋭い直観と厳密な方法に支えられたすぐれた業績を数多く発表した。これらの研究は《国語音韻史の研究》(1944)にまとめられ,52年日本学士院賞を受賞した。一般音韻論については学位論文《音韻論》(1940)で心理主義的色彩の強い独自の理論を展開した。ほかに,遺稿を整理して刊行した《上代音韻攷》(1955)などがある。
執筆者:大江 孝男
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昭和期の言語学者,国語学者
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…具体例で示せば(調値は省略),天水方言(甘粛)は平声・上声・去声の3声,南京方言は陰平声・陽平声・上声・去声・入声の5声,梅県(客家(ハツカ))方言は陰平声・陽平声・上声・去声・陰入声・陽入声の6声,福州(福建)方言は陰平声・陽平声・上声・陰去声・陽去声・陰入声・陽入声の7声,紹興方言は陰平声・陽平声・陰上声・陽上声・陰去声・陽去声・陰入声・陽入声の8声,広州(広東)方言は陰平声・陽平声・陰上声・陽上声・陰去声・陽去声・上陰入声・下陰入声・陽入声の9声,博白方言は陰平声・陽平声・陰上声・陽上声・陰去声・陽去声・上陰入声・下陰入声・上陽入声・下陽入声の10声である。安然《悉曇蔵》に引く〈表〉の伝えた漢字音(唐代)の声調にすでに陰,陽の分離がみえることを有坂秀世が指摘している。声調の機能をもつ言語は,中国語のほか,チベット語,タイ語,ビルマ語,ベトナム語など,アジアの言語に多い。…
※「有坂秀世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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