茶の湯の用語の一つで,茶を点ずるための順序,手続をいう。抹茶を点ずる,または点(た)てるしかたには濃茶(こいちや)と薄茶の区別がある。濃茶は練る,薄茶を点てるといい,その手続を濃茶点前,薄茶点前という。これは飲料としての抹茶の点前であるが,茶の湯には別に炉中(夏季は風炉)に炭を置くための手順,炭手前がある。この場合は〈点ずる〉の文字を用いず,〈手前〉と書くが,〈てまえ〉の意味内容はまったく同じといってよい。さらに,茶の湯で客をもてなすことを〈茶事〉と称するが,この茶事を構成する,懐石(料理),炭手前,濃茶・薄茶点前,の全体をも広義の〈点前〉と解することができる。だがこれを〈茶事の点前〉とはいわず,客側からとらえて〈茶事の作法〉とするほうが分かりやすい。
炭手前は,冬季(11~4月)は炉,夏季(5~10月)は風炉で行われる。茶事を前提とした場合,炉中(または風炉中)を下火(したび)の状態にして炭を置く手前は,前席(初座)で行われるのを初炭(しよずみ)と称し,後席(後座)で初炭の火勢が弱まったところへ新たに炭を補充するのが後炭(ごずみ)/(のちずみ)である。そのほか現行では,〈夜咄(よばなし)〉の茶事の場合,最後に客を引き止める意味での,留炭(とめずみ)(止炭)がある。この三炭(さんたん)に,2通りの解釈があって,火種となる下火を一炭として数えるか,下火は数えずに,留炭ともに三炭とするかである。このほか真台子(真之行台子伝法)で行われる真の炭手前があるが,いずれにしても炭手前は客を招いてする茶事に連結したものである。
これに対し,茶を点ずるための点前は,茶事に連動する場合のほかに,茶道修練のための段階的な稽古と,この側面がある。つまり点前は,茶事の中でとらえた場合,横の広がりでその多様な対応を考えることができるし(茶室の構造または趣向の変化によって点前も変わる),稽古修練としては,時間的な奥行きとして認識することができる。この段階的な点前の構成は流儀によって異なるが,裏千家流を例にすれば次のようになる。
(1)小習事十六ヵ条 (a)〈前八ヵ条〉 貴人点(きにんだて),貴人清次(きよつぐ),茶入荘(かざり),茶碗荘,茶枚荘,茶筅(ちやせん)荘,長緒茶入,重(かさね)茶碗。(b)〈後八ヵ条〉 包帛紗(つつみぶくさ),壺荘,炭所望,花所望,入子点(いりこだて),盆香合,軸荘,大津袋。
(2)四ヵ伝 茶通(さつう)箱,唐物,台天目,盆点(ぼんだて)。
(3)欄外 和巾点(わきんだて),茶箱点(雪・月・花・卯の花の4課目と他に色紙点,和敬点,千歳(ちとせ)盆などがある)。
(4)奥秘十二段 行之行台子伝法,真之行台子伝法をそれぞれ,行台子(乱飾),真台子と略称し,他を奥秘十段として別置している。
(5)大円,大円真,大円草,格外の秘伝二ヵ条。
以上のように裏千家流の点前大系は明解かつ論理的に構築され,その教授内容も豊富なことが特徴とされる。たとえば,椅子点前(立礼)は1874年,裏千家11世玄々斎によって考案され,今日では各流派で一般化されている。さらに前記の段階的な点前を研鑽の縦の軸とした場合,横軸としての茶事を展開させることができる。そこでこの縦の軸をさらに点検すると,小習事十六ヵ条(小習と略称)と四ヵ伝の茶通箱,欄外の和巾点,茶箱点は茶事または客への対応の中に吸収される。すなわち横軸に展開させることができる。それに対し,唐物,台天目(台にのせた天目茶碗を扱う点前),盆点(唐物茶入,拝領物を盆にのせて扱う点前)は,台子へ進むための基礎的課目とみなすことができる。そして台子に用いられる唐物茶入,天目茶碗の格調,あるいは和物(わもの)(唐物に対する語で国産品をいう)でも名物としての位取りによって,台子点前はさまざまに変容対応するのである。そしてこの内容は奥秘とされてきた。しかしここで,縦の軸と横の軸との交差点を茶通箱より上の段階にあげて,唐物なり台天目の位置でみると,唐物茶入,あるいは天目茶碗のどちらかをもてなしの主題にすえての茶事も一般的ではないが不可能ではないので,点前構成のかなめは,唐物,台天目にあるといえる。すなわち縦軸としての奥秘台子にいたる稽古階梯であると同時に,またその器物のいずれかを用いての茶事も可能だからである。さらに行台子が茶事になりえないかといえば,可能ではあるが,奥秘としての別の側面からの制約を考慮しなければならない。客組も制限され,茶事自体も本来の交歓としての性格から,式正の厳格なものに移行することになって,一般的とはいえない。
唐物,台天目が点前構成上のかなめになっているということは,茶の湯点前の成立とも深いかかわりをもっている。本来は茶を喫するという,単に渇きをうるおすための行為であり,あるいは,これに文化的な雰囲気を伴うとしても,中国における喫茶,またはイギリスにおいて典型とされるティーは,確かに知的なものであり,また知的であるがゆえに多少の手順・作法を必要とするのであろうが,日本の茶の湯がもっているような〈点前〉は存在しない。その理由の一つは,喫茶に用いられる器物の多様性とその器物への鑑賞態度である。茶の湯の場合,極端にいえば,茶を喫することよりも,器物への対応のほうが優先され,重要視されているといってよい。そこに,茶の湯を喫茶という飲食儀礼の文化と考えるか,器物への対応を思考する精神世界と考えるかの岐路があるといえる。そこにおいて,点前のもつ意味が重みをますのである。これを茶道史に立ち戻って説明すれば,抹茶を喫するという宋代の文化が輸入されたとき,それは禅とその当時の絵画,工芸(磁器,漆器,竹芸など)を伴っていた。つまり単なる飲料としては認識されなかったのである。それは当時の中国と日本文化との差だといえる。文化水準において対等であるか,または決定的に異質な文化体系であれば,問題なく単なる飲料として受け入れられたのであろうが,基本的に中国文化を摂取しながら,独自の文化体系を模索してきた日本の場合,とくに室町期に入って京都という最も民族性に適した都市を文化の中心にするにいたって,ことさら独自性が意識されてきただけに,中国文化への傾斜は,それからの離反と表裏をなすような精神構造になっていた。この問題を茶の湯についてみれば,村田珠光のいう〈和漢のさかひをまぎらかす〉ことの主張となって表現されている。この思想は,中国文化を積極的に日本の風土,生活慣習の中に融和させ,そしてさらに中国文化から脱却して,独自の文化を展開させることであった。しかしこの珠光の主張は,有史以来の外来文化摂取の伝統的な型に,喫茶をあてはめようとしたにすぎない。ただ茶の湯の場合,中国の喫茶と周辺の文化を日本人の生活の万般に及ぶ広い視界で受けとめようとしたところに特徴がある。それは唐物(この場合中国の美術工芸品のすべてを指していう。ただし,狭義には唐物茶入をいう)に代替しうる和物の発見であり,〈わび〉という美意識,または思想の成立である。唐物は絶対的に高価な希少な器物なのであり,それを量産可能な和物で替えることができるとするためには,そこに不換価値を付加する,すなわち精神世界を参加させなければ対抗できないのである。その精神的なものを〈わび〉という言葉で表現している。
唐物に対抗するもう一つの手段は,唐物を扱う手順,つまり点前の発生である。中国の優れた器物に対し対等の関係を設定するためには,精神的な昇華,緊張世界の確立である。それが唐物を扱う点前手続を生んだ。その一定の手順をふんだとき,その異国の優品をはじめてわが物として所有することができる。それは器物への挑戦であり,認識の優位であった。さらに器物を生活の中で,有機的に作動させ,機能させながら今日にいたったこと,それを日本の文化というべきであろう。点前は,日本人の知能であり知恵なのである。
→懐石 →茶事 →茶道
執筆者:戸田 勝久
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茶の湯において茶を点(た)てたり、炭を置く行為をいう。古くは手前と書いていたが、現在は、炭を置く行為である「炭手前」にのみ手前の字を使い、ほかはすべて点前の字をあてている。中国宋(そう)代の茶書『茶録』に「点茶」とあって、点前の語の初見となっている。炭手前のほか、茶の点前の仕方は、薄茶(うすちゃ)点前と濃茶(こいちゃ)点前が基本となっている。その手続については、茶道の流儀によって少しずつ微妙に異なっており、それが流儀存続の意義づけにもなっている。『南方録(なんぽうろく)』によると、茶の湯の点前が初めて行われたのは、将軍足利義教(あしかがよしのり)が後花園(ごはなぞの)天皇を招いて饗応(きょうおう)したあと、寵臣(ちょうしん)赤松貞村(あかまつさだむら)が水干(すいかん)・折烏帽子(おりえぼし)姿で披露した台子(だいす)点前が最初であったということになっている。それは、天皇拝領の唐物(からもの)道具を使った台子による3種極真荘(ごくしんかざり)の点前であった。現存する『室町殿行幸御餝記(おかざりき)』(徳川美術館蔵)によると、永享(えいきょう)9年(1437)10月21日のことであって、二か所に茶湯所がしつらえられており、そこで点前が披露されたことになる。『海人藻屑(あまのもくず)』(1420)に「建盞(けんさん)ニ茶一服入テ、湯ヲ半計(なかばばかり)入テ、茶筅(ちゃせん)ニテタツル時、タダフサト湯ノキコユル様ニタツルナリ」とあるので、貞村の点前とはこうした点て方であったと考えることができる。このように台子から始まった茶の点前は、草庵(そうあん)茶の成立とともに炉(ろ)の点前が考案されていった。興福寺別当光明院の実堯(じつきょう)による『習見聴諺集(しゅうけんちょうげんしゅう)』に記載された「古伝書」(1604、05写)には、「いるり(囲炉裏(いろり))の立様之事」「薄茶之立様之事」があって、台子を使った風炉(ふろ)と炉の濃茶と薄茶の両様の点前が記述されている。その後、わび茶の大成するにつれて茶席の極小化が行われ、千利休(せんのりきゅう)による「一畳半の伝」といわれるような運び点前が成立し、点前の基本がすべて整ったのである。江戸時代になると、茶道の展開とともに点前手続も多様化していき、家元制度が確立するにつれて、現在みるような点前が定着したのであった。
[筒井紘一]
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…煎茶とは茶葉を湯で煎じて飲むこと,抹茶(挽茶(ひきちや))以外の日常に飲む茶あるいはその茶葉を総称する場合もある。茶の湯(茶道)に対して,煎茶の煎法,手前,作法を煎茶道という。
【歴史】
[日本人と喫茶]
〈煎茶〉の文字の,日本における文献上の初見は《日本後紀》の815年(弘仁6)に嵯峨天皇が,近江国唐崎に行幸し,その帰路梵釈寺に立ち寄ったときの記録である。〈大僧都永忠,手自煎茶奉御(手自ら茶を煎じ奉御)……〉と記されている。…
…とくに飲酒の作法(千鳥の盃事)などは今日なお男性の心得て良き事がらに属する。 またいわゆる茶の湯の稽古は,平点前(ひらでまえ)(濃茶・薄茶),炭手前(初炭・後炭)を基本とし,小習事に進むのであるが,これは茶事の中の一つ一つの構成要素であって,茶の湯の稽古はすべて茶事につながるといえる。ただ今日では,茶の湯人口も多くすべて簡略化の傾向にあるから,茶事の中の薄茶部分(または濃茶)だけを取り出して,一日に多数(1000人ほどになることもある)の客を数ヵ所の茶席を設けて行う,大寄せ茶会(おおよせちやかい)に移行している。…
…饗宴は食事と酒を中心とする主従の固めの儀礼であり,また神を招いて神人共食する聖なる儀礼であって,茶会のなかにこうした要素は十分認められよう。茶道を芸能と考えるとき,芸能たる(1)思想と演出,(2)衣装と道具,(3)所作の型,(4)舞台,を茶道も備えていなければならないが,それぞれ(1)わび茶の思想と趣向,(2)茶道具と室礼,(3)点前(てまえ)と作法,(4)茶室と茶庭,としてすべて備えている。これらの要素を総合する茶道は世俗的な日常世界を脱却して,客と亭主の新たなる紐帯を求める寄合の芸能といえよう。…
※「点前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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