抹茶(まっちゃ)を点(た)てるための竹製のささら。茶筌、茶箋とも書く。茶筅の初見は、中国宋(そう)代の徽宗(きそう)皇帝の著『大観茶論』の「筅」および審安老人の『茶具図賛』にみえる「竺副帥(じくふくそつ)」の語である。『大観茶論』の「筅」には「茶筅以筋竹老者為之、身欲厚重、筅欲疎勁」とあって、茶筅は枯れた竹でつくり、軸は厚く重いのがよく、先は粗く強いものがよいといっている。わが国においては、平安時代中期、空也上人(くうやしょうにん)が始めたといわれる皇服(おおぶく)(大服)茶(ちゃ)に使われる茶筅が最初だと伝えられるが、資料的には不確実である。とはいえ、中世には京都の空也堂(空也の法弟定盛の建立)を本拠とする鉢叩(はちたた)きが茶筅をつくって売り歩いており、『遊学往来』には「兎足紫竹茶筅」の一文がみられ、紫竹茶筅が好まれ、兎足と異称されていたことがわかる。16世紀になると茶の湯の興隆とともに茶筅の生産地も広がりをみせるようになり、『茶具備討集(ちゃぐびとうしゅう)』(1554)には「茶箋、奈良茶箋、幡枝波切(はたえだなみきり)、尾張(おわり)并加賀」とあるように、奈良茶筅を最上とし、京都幡枝(はたえだ)、尾張、加賀の産もあったことがわかる。
茶筅は竹材、編み糸、形状によって大きく三つに区別できる。正月の青竹は祝儀用であるが、ほかに白竹(裏千家、遠州派など)、煤竹(すすだけ)(表千家など)、紫竹(武者小路(むしゃのこうじ)千家、宗徧(そうへん)流など)に分けられ、編み糸には白糸、黒糸、赤糸の別があり、形状別に無節、止節、中節のものがある。また穂の立て方としては奈良高山茶筅には真、数穂、荒穂、五分長、小茶筅などの32本立てから120本立てまでの48種がつくられており、流儀によってそれぞれの好みで使い分けられている。
[筒井紘一]
点前道具の一種。茶筌とも書く。抹茶に湯を入れて,かきまぜたり,練り合わせたりするために用いられる。筅(ささら)といい,もともと中国で使われていた筅状のものが茶とともに日本にもたらされた。抹茶の普及につれて,茶筅を空也念仏宗の僧が売り歩くようになり,茶筅の製作を賤民の業とする時代もあった。しかし,江戸時代に入って茶の湯が確立すると,茶筅の製作を専業とする茶筅師が出現し,奈良高山(現,生駒市高山町)が茶筅の産地として知られるようになった。また点前にも〈茶筅飾〉の習があって,水指の上に茶巾,茶筅,茶杓を飾り,気持を改めたことの表現としている。茶筅の穂立の数,竹の種類(白竹,紫竹,煤竹(すすだけ),青竹),寸法などによって形状はさまざまで,流儀によるきまりも多い。点前によって穂立の数も違い,荒穂,中荒穂,常穂,数穂の区別がある。濃茶には数の少ない荒穂(32本),薄茶には数の多い数穂が用いられる。
執筆者:戸田 勝久
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