茶事(読み)ちゃごと

精選版 日本国語大辞典 「茶事」の意味・読み・例文・類語

ちゃ‐ごと【茶事】

〘名〙
① 先祖・父母の忌日に、ぼた餠などをつくり、茶をたてて、親戚・知人などを招くこと。伊勢地方でいう。
※俳諧・犬子集(1633)一四「真砂ほどくふいり大豆の 爰かしこ浜辺の里に茶ことして〈玄礼〉」
② 寄り合って茶を飲むこと。茶菓を飲み食いしながら話し興じること。ちゃじ。
浮世草子好色二代男(1684)七「茶事(チャごと)の花餠などして」

さ‐じ【茶事】

〘名〙
茶の湯。茶道。
※叢書本謡曲・治親(1465頃か)「親にて候者の茶事(サジ)を興行申し」 〔皮日休‐茶経序〕
② 茶を製する仕事。〔品茶要録‐一采造過時〕

ちゃ‐じ【茶事】

〘名〙 茶をたてて飲むこと。また、茶菓などを供して話し興じる茶会を催すこと。
太平記(14C後)三三「此の茶事過て又博奕をして遊びけるに」 〔皮日休‐茶中雑詠序〕

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デジタル大辞泉 「茶事」の意味・読み・例文・類語

ちゃ‐じ【茶事】

茶の湯で、懐石を伴った客のもてなし。
茶の湯に関する事柄。

ちゃ‐ごと【茶事】

寄り集まって茶を飲むこと。茶菓を供して話し興じること。
先祖や父母の命日に、親戚や知人を招き、茶菓を供すること。

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改訂新版 世界大百科事典 「茶事」の意味・わかりやすい解説

茶事 (ちゃじ)

茶の湯で来客を接待することを茶事と称するが,それは単に抹茶を点(た)て,供するだけでなく,必ず懐石(簡単な食事)を伴う。茶の湯,さらに茶の会(茶会)とは,喫茶のための会と認識されているが,それは大きな誤解であって,茶の湯は呈茶とともに,茶の湯の食事(懐石)を包摂するものなのである。そしてこの食事が,いわゆる饗応の膳部料理と,基本的に発想を異にするのであって,一時の空腹をしのぐための懐石料理であることが重要である。要するに茶の湯は,喫茶のみで成り立つものでなく,喫飯を伴うものなのである。そこに,茶会といわず茶事という表現の意味が存する。ただ,この区別を強調する必要のなかった,千利休を中心とする時代には,茶事という表現はなく,すべて茶会と呼ばれ,その茶会の記録,すなわち会記には,懐石の献立が含まれている。利休時代の茶会記をみると,その構成は今日の茶事と基本的に一致しているが,今日ではその様式が整備されて画一化しているのに対し,きわめて自由な対応を示している。それは茶の湯が日常生活それ自体に深く根ざしているところから,今日のような順序次第・約束事にとらわれない,臨機応変の処置がつねに要求されていたのである。

茶事の基本的な構成は,(1)懐石,(2)初炭(しよずみ)(炉では(1)と(2)が逆になる),(3)花,(4)濃茶(こいちや),(5)後炭(ごずみ),(6)薄茶の項目からなり,(1)と(2)を前席(初座),(3)から(6)までを後席(後座)として,その間に中立(なかだち)(茶庭に出て休憩する)を設けて,前後の2段に分けられている。この着想に,茶の湯の独自性があり,この全体を含めて茶の湯世界ということができる。茶室の前席の床には,掛物(書)をかけ,後席ではそれを花と変える。床の間という一見むだな室内空間は,芸術鑑賞のための余裕であり,中立をする茶庭(露地)は,自然の象徴として造形された。日常と芸術をつなぐ緩衝地帯としての役割である。つまり茶事を煩瑣な日常世界から隔絶することによって,精神的に解放された芸術生活を現前させようとした。露地は日常と茶室(芸術世界)を連結する細い通路であり,客はそこを通って再び日常の生活に戻ってゆく。その屈曲を逃避と考えるのではなく,むしろ積極的な旺盛な生活意欲の表出になしえたところに茶の湯の力があったのである。

茶事の日常との対応は,しだいに分類様式化されて,今日では〈茶事七式〉と称する7通りに整備されている。(1)正午 昼食。(2)夜咄(よばなし) 夜会。今日では冬季に限られ,厳寒の風趣が主題となる。(3)朝茶 朝会。今日では夏季のもので,早朝の清涼感を演出する。(4)暁 夜込(よごみ)ともいった。午前4時ころから夜明けの曙光を風情とする。ただし今日はほとんど行われていない。(5)跡見 身分の上位の来席の跡をそのまま拝見しようとする会。例えば秀吉が好例となる。今日ではほとんど行われない。(6)不時 臨時の会,予約されていない,という場合と,食事の時刻をはずすという2通りの解釈がある。(7)口切 11月にその年の新茶を詰めてある茶壺の封を切って,その場で石臼でひいて供する。茶の湯の新年行事で最も重大視されている。以上の7種類であるが,なお独客(一客一亭),飯後(菓子茶ともいう。不時との区別が必ずしも明瞭でない),残火(ざんか)(《南方録》に記述がみられる。今日では行われない)のような茶事の表記をあげることができる。

 このうち,正午茶事がすべての茶事の基本形式となっており,他はこれの応用形と考えてよい。正午茶事の所要時間は,4時間を限度としてこれを超えることはない。ただし客の人数は,5客を原則とするが,今日では広い茶室(8畳)で10人程度を常識としているので,それだけ時間の経過を必要としている。客の定数を5としているのは,茶室の広狭にも左右されるが,その席で交わされる清談に一座の全員が集中できる限界の員数と考えているからである。茶事の中での話柄は重要な課題となっており,《山上宗二記》の中で,武野紹鷗の教訓として牡丹花肖柏の狂歌〈我仏隣ノ宝聟舅天下ノ軍(いくさ)人の善悪〉を引いて,いわゆる世間の雑談を禁じている。そこにおのずから,連歌や茶の湯が,理想として掲げた風流の世界をうかがうことができる。しかしそれはまた同時に,このことの実現は至難であり,現実には俗事に利用されることも当然多かったのである。

茶事をして一座の建立を願う思想は,その場に濃密な芸術的雰囲気の醸成を期待するものであり,人間の心の交流を前提として,名器名品,酒食を媒体として一期一会の短い時の間を充足させようとする演出である。したがってその成否は,当日の客組にあるから亭主(主催者)は人選に腐心し,あらかじめ親密な,あるいはその可能性を期待しうる既知の人々を案内し,事前に参加者全員に構成員に対する了解をとらねばならない。当日,連客は主催者の家の寄付(よりつき)(待合せのための部屋。この床には,その日の主題を象徴する略体の絵画をかける)に集合し,案内を待って露地の腰掛に出る。主人の迎付(むかいつけ)をうけ,蹲踞(つくばい)で手洗を使って本席(茶室)に入る。これが必要な舞台設定であり,そこに建築,造園への知識が加味されるし,その茶事の主題(冠婚葬祭,年祝,年中行事など),季節感を踏まえて,道具の取合せ・献立が,主催者の経験と力量に応じて展開されるから,客は十分な理解を示さなければならない。それには,文学,歴史,美術工芸,食文化,民俗の百般にわたる教養が必要とされるのである。客は正客(しようきやく)以下,次客,三客,四客,詰(つめ)(末客)と称されるが,とりわけ正客の責任は重く,全員の意向を取りまとめて代表しなければならない。また詰は亭主が唯一席中での働きを要求できる立場で,なかば主催側に立つ進行係である。この役どころに加えて,いわゆる茶事の作法を心得ていることが要求される。茶の湯のもっている食事の礼法は,伝統的な日本文化を比較的正しく,中断なく伝えているから,教養としての現代的意義を失っていない。とくに飲酒の作法(千鳥盃事)などは今日なお男性の心得ておいて良い事がらに属する。

 またいわゆる茶の湯の稽古は,平点前(ひらでまえ)(濃茶・薄茶),炭手前(初炭・後炭)を基本とし,小習事に進むのであるが,これは茶事の中の一つ一つの構成要素であって,茶の湯の稽古はすべて茶事につながるといえる。ただ今日では,茶の湯人口も多くすべて簡略化の傾向にあるから,茶事の中の薄茶部分(または濃茶)だけを取り出して,一日に多数(1000人ほどになることもある)の客を数ヵ所の茶席を設けて行う,大寄せ茶会(おおよせちやかい)に移行している。この大寄せ茶会を一般に茶会と呼んでいるし,茶の湯人口の大多数は,茶事に接する機会は少ない。佐々木三味(さんみ)(1893-1969)は,その著作の中で大谷尊由の言葉として〈茶事の経験を積んだ人が茶人だ〉といったと伝えているが,このきわめて当然な表現が実は現実には本来の茶人の希少であることを告白している。佐々木はまた,点前のみで茶事もせず道具にも暗い点前茶人,道具の収集ばかりで点前は人まかせの道具茶人,文筆と議論ばかりの文献茶人,一人よがりの独善茶人と列挙して批判の筆鋒を向けているが,それは茶事を行うことの至難さを裏返しに表現しているのであり,茶事が総合的な十分な力を必要とすることを示している。

茶事の記録を茶会記,また単に会記と称する。四大茶会記として,堺の天王寺屋3代(津田宗達・宗及・宗凡)にわたる《天王寺屋会記》(1548-90),奈良の漆問屋松屋源三郎家の3代(松屋久政・久好・久重)の断続する《松屋会記》(1534-1650),今井宗久による1554-89年の自他の茶会計83会を記した《今井宗久茶湯日記書抜》および博多の富商神屋宗湛の《宗湛日記》(1586-1613)が,利休を中心とする茶の湯全盛時の茶事の内容を詳細に伝えている。近世に入ると,近衛家熙の行状を記した山科道安の《槐記》が出色であり,その他無数の茶会記録が伝存している。と同時に,茶の湯の稽古も専門化するから,例えば裏千家における〈五事式〉のように,まったく点前稽古の延長であるような茶事も生まれた。千家では如心斎(表千家7世。1705-51)と又玄斎(如心斎の弟,裏千家8世。1719-71)の時代に,稽古習練の方法として,5人1組で行う〈花月式〉を基本とする〈七事式〉が生まれた。五事式は茶事の流れの中で初炭を〈廻り炭〉にし,後席の花を〈廻り花〉で行い,〈且座(しやざ)〉で香を聞き濃茶を喫し,〈花月式〉で薄茶を喫し,さらに〈一二三の式〉で当日の成績を採点するのである。これは稽古習練と茶事を合体した特殊な様式で,必ずしも一般的といえないが,茶の湯が近世において日常生活からしだいに遊離して稽古事としての側面を強調して進んできたことの一つの帰結といえる。その一方で,茶事はまた道具中心の展開も示したのであって,とくに明治に入って,財閥富商の間に茶道具の収集熱がたかまってくると,名品を誇示する茶事が盛行するようになる。この種の茶事記録は,高橋箒庵(1861-1937)が《時事新報》へ連載執筆した記録を中心に編集刊行された《東都茶会記》12冊,《大正茶道記》8冊,《昭和茶道記》1冊に詳述された。四大茶会記が,記録文学としての評価を得ようとするのに対し,箒庵の実見記は,その後,茶の湯ジャーナリズム,ひいては茶器の研究,茶道史の発展に大きな影響を与えたといえる。こうして茶事は,過去の文化遺産として,また現在的意義をも内包して,日本文化の一翼をになっている。
茶道 →点前
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普及版 字通 「茶事」の読み・字形・画数・意味

【茶事】ちやじ・さじ

茶に関すること。唐・皮日休〔茶中雑詠の序〕(北)より已、國事、陵子陸季疵(りくきし)(羽)、之れを言ふこと詳らかなり。然れども季疵以飮(めいいん)とする、必ず渾(すべ)て以て之れを烹る。

字通「茶」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の茶事の言及

【懐石】より

…茶の湯の席で,茶事の一部として饗される食事。懐石(会席)料理ともいう。…

【点前】より

…この場合は〈点ずる〉の文字を用いず,〈手前〉と書くが,〈てまえ〉の意味内容はまったく同じといってよい。さらに,茶の湯で客をもてなすことを〈茶事〉と称するが,この茶事を構成する,懐石(料理),炭手前,濃茶・薄茶点前,の全体をも広義の〈点前〉と解することができる。だがこれを〈茶事の点前〉とはいわず,客側からとらえて〈茶事の作法〉とするほうが分かりやすい。…

※「茶事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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