温石(おんじゃく)で腹を温めるのと同程度に腹中を温め、空腹をしのぐ軽い料理。鎌倉時代に禅宗が盛んになったが、禅僧は戒律が厳しく、午後になると食事をとってはならないことになっていた。長時間全然食事をとらないと体がもたないので、晩粥(ばんがゆ)そのほか軽い食事をとることにして、これを懐石と称した。温石とは石を温めたもので、懐中に入れ、体を温めるための用具である。
当時、同じく盛んになった日本独自の茶道と結び付いて、茶懐石と名づける料理ができた。しかし鎌倉時代には、さほど豪華なものではなかったとみてよかろう。室町中期、足利義政(あしかがよしまさ)の東山時代には料理道が大躍進し、四条流、大草流、生間(いかま)流、進士流などが名のりをあげた。茶道の飛躍も目覚ましく、優れた料理道と茶道が結び付いて、新しい内容の茶懐石料理の基本がこの時代にできあがったのである。しかし、茶懐石の料理は元来簡素な素人(しろうと)料理であるから、同時代に豪華本格料理として生まれた本膳(ほんぜん)料理に比べれば、やはり簡素でしかも実質的なものであった。懐石料理は、飯、汁、刺身、椀(わん)盛りを一人前ずつ出し、それ以外の料理は一つの食器に盛り込んであるのを、めいめいに取り分けるのである。古い形式では、飯と酒をいっしょに出し、客の好みに応じて供していた。懐石料理はよい材料を用いるのが原則であり、温かい料理は冷めぬうちに、冷たい料理は温めないように供する。いまもその考え方は変わっていない。
茶懐石には折敷(おしき)といって、脚のない平膳(ひらぜん)を用いる。左の漆器の茶椀に飯を少々盛り、右の汁椀に汁を入れて手前に並べる。向こうには、お向こうの名の陶磁器に生魚(なまざかな)を盛る。箸(はし)は利休箸(りきゅうばし)という両端が使える杉箸を客前に置く。酒器は最初は漆器を用いる。汁のお代わりは好みで出す。次に漆器の煮物椀に煮た料理を入れて客に配る。このあと陶磁器の酒器を出し、これで酒を自由に飲み、好みによっては飯を食べてもかまわない。このあとで出す料理は一つの器に盛り合わせ、客はそれを折敷の上にある食器の蓋(ふた)にとって食べる。このほかに強肴(しいざかな)が出る。これは、もう少し召し上がりくださいと強(し)いて出すのでこの名があり、和(あ)え物か酢の物を用いる場合が多い。強肴の次に進め肴をもう一品加えることもあるし、強肴を進め肴ということもある。次に出る小吸い物は箸洗(はしあらい)といい、薄味仕立てになっている。八寸には酒の肴を古くは2種盛ったが、現在では数多くの料理が盛り込んである。最後に漬物と湯桶(ゆとう)が出る。
懐石料理は旬(しゅん)の材料で、新鮮、良質なものを選び、それに適する料理法をとらねばならない。茶席の次の間でつくるのを原則とするが、いまはそれが不可能な場合が多い。また、茶事には時間の定めがある。それに応じて適切な料理を出さねばならない。寒い冬の早朝催す暁(あかつき)の茶事、夏の朝5~6時の朝茶事、わりあい多く開かれる正午の茶事がある。冬の薄暮から夜にかけて開く夜咄(よばなし)の茶事もある。懐石料理は、それぞれの季節と時刻に適する内容の料理をつくらねばならない。また、それに適する食器も用意しなければならない。いまでは懐石料理の名の日本料理が最高級の日本料理と考えられ、専門の料理屋でつくる場合が多くなっている。内容的にみると、茶懐石本来の姿はかなり薄くなり、茶道の和敬清寂の精神とはいささか離れた内容の料理が、茶懐石の名で出ることもある。一方、本格的な内容の茶懐石料理も、その道の専門家や茶道の関係者の間では盛んである。
[多田鉄之助]
茶の湯の席で,茶事の一部として饗される食事。懐石(会席)料理ともいう。これは式正(しきしよう)の本膳料理に対応する表現でもある。
懐石の名は,石を焼いて布に包み,これを懐に入れて暖をとったことに由来し,温石で腹を暖める程度に腹中を暖めるということから,軽い食事という意味が生じた。〈懐石は禅林にて菜石と云に同じ,温石を懐にして懐中を温めるまでのことなり〉(《南方(なんぼう)録》)とあり,これが茶の湯の解である。この懐石に会席の文字が使用されている例は,近衛家煕の《槐記》(東坊城家本)の享保9年(1724)10月16日の項に,〈御会席〉とみえている。ちなみに,この写本の《槐記》は,すべて会席で通されている。今日では,茶席の料理,すなわち高級料理の印象を与えるようになっているが,本来茶席での食事(懐石)は,一汁三菜であって質朴を旨としている。味噌仕立ての汁に,向付(饗膳でいう鱠(なます)),煮物(野菜と鳥肉または魚類の焚き合せ),焼物(切身の魚)の三菜で構成される。これを手料理として饗するのが,茶の湯の饗応の基本である。強肴(しいざかな)(鉢物)が追加されることによって,しだいに料理の趣を呈することにもなるのである。懐石膳(足のない折敷)の上に向付(陶磁器)と,三つ椀(煮物椀,飯椀,汁椀をいう)のうち,飯・汁椀をのせて持ち出す。他に懐石道具として,飯器,吸物椀,八寸,湯桶(ゆとう),香物鉢などがある。このデザインは,利休好(黒塗)を基本とするが,朱塗または有名茶人の趣向になるものがある。また煮物椀は,別製の独立した,やや派手なものが用いられることが多い。
→茶事
執筆者:戸田 勝久
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…茶の湯で来客を接待することを茶事と称するが,それは単に抹茶を点(た)て,供するだけでなく,必ず懐石(簡単な食事)を伴う。茶の湯,さらに茶の会(茶会)とは,喫茶のための会と認識されているが,それは大きな誤解であって,茶の湯は呈茶とともに,茶の湯の食事(懐石)を包摂するものなのである。…
…また利休は堺という最大の軍事都市の勢力を背景に,織田信長,豊臣秀吉の権力に接近し,茶頭として重用された。その結果,天下人の儀礼的な茶道も担当することになり,茶の点前・作法といった儀礼的な側面も,茶会の形式も,茶会で供される茶の料理(懐石)も,利休のわび茶の思想によって整えられた。利休は大徳寺の古渓宗陳ら禅僧に深く帰依し,宗易の法諱も大徳寺から受けたように,禅の影響を強く受け,床の掛物に墨跡を重視するなど茶道に禅宗を一段と近づけた。…
…その第1は〈三つの食台の宴会〉,第2は〈五つの食台の宴会〉,第3は〈七つの食台の宴会〉,第4は〈茶を飲むための宴会〉であった。いうまでもなく第1から第3までは,いわゆる七五三の本膳(ほんぜん)形式で,客の一人一人に一の膳(本膳)から三の膳,五の膳,七の膳までの料理を供するものであり,第4は茶席の料理,つまり,のちの懐石である。そしてロドリゲスは第4の宴会が,本膳形式の〈余分なもの煩わしいもの〉を捨て去った〈当世風〉のものであり,料理も〈装飾用で見るためだけ〉のものでなくて,質的に充実したものになったといっている。…
※「懐石」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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