第2次世界大戦中の1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破ってナチス・ドイツ軍が旧ソ連に侵攻した。奇襲に成功したドイツ軍はソ連軍を圧倒し、首都モスクワに迫ったが、ソ連軍は42年8月からのスターリングラード(現ボルゴグラード)の戦いに勝利し反撃。現在のウクライナやベラルーシも最激戦地の一つとなった。ドイツはモスクワ時間の45年5月9日未明に無条件降伏。民間人も含めたソ連側の死者は約2700万人とされ、ドイツ側を大幅に上回る。ロシアでは祖国を守り抜いた戦いとして「大祖国戦争」と呼ぶ。(モスクワ共同)
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ナチス・ドイツが独ソ不可侵条約を破り,1941年6月22日ソ連に対して電撃的な攻撃をかけて開始した戦争(ドイツ側の一般呼称はバルバロッサ作戦。ソ連では大祖国戦争)。ドイツの同盟国イタリアやルーマニアも部隊を派遣した。当初壊滅的打撃を受け後退を余儀なくされたソ連軍は,10月までに200万人を超える兵士が捕虜となったが,モスクワ前面での戦いでもちこたえ,41年冬ようやく最初の反攻を敢行してドイツの電撃戦略を挫(くじ)いた。双方とも100万人を超える部隊を投入した1942年7月~43年2月のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)の戦いは,包囲されたドイツ軍の破局的敗北で終わった。43年7月ドイツが戦車軍団の3分の2を注ぎ込んだクルスク会戦以後,主導権は完全にソ連軍の手に移り,ドイツ軍は焦土戦術をとりながら退却を強いられた。ベルリン包囲戦で最終的にナチス・ドイツを打倒しえたソ連側の死者は2000万人を超え,独ソ戦期間中毎日平均1万4000人もの夥しい犠牲者を出したことになる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この戦線の拡大は対ソ戦との関係でヒトラーの意図が問題にされており,イタリアの支援と後方の確保であったという見解と,この時期ヒトラーは〈世界電撃戦〉ともいう北アフリカ・近東までの侵出を考え,その延長上に立つものという見解に分かれている。いずれにしろ独ソ戦のまえには,ドイツはヨーロッパのほとんど全土に支配を及ぼしていた。41年6月22日ドイツ軍はソ連を攻撃した。…
※「独ソ戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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