デジタル大辞泉
「王陽明」の意味・読み・例文・類語
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おう‐ようめいワウヤウメイ【王陽明】
- 中国、明代の儒学者、政治家。名は守仁。字(あざな)は伯安。諡(おくりな)は文成。陽明は号。浙江余姚(よちょう)の人。二八歳で進士に合格。龍場の山中で心即理の立場を確立し、この原理の上に知行合一、致良知の説を唱えた。その一門を陽明学派という。主著「伝習録」三巻、「王文成公全書」三八巻。(一四七二‐一五二八)
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王陽明
おうようめい
Wang Yang-ming
[生]成化8(1472).浙江,余姚
[没]嘉靖7(1529).11.29. 江西,南安
中国,明の哲学者,政治家。陽明学の始祖。字は伯安。名は守仁。諡は文成。弘治 12 (1499) 年の進士。官は南 贛巡撫,南京兵部尚書,都察院都御史として両広総督などを歴任。その間,江西の流賊の反乱,南昌の寧王朱宸濠 (しゅしんごう) の乱,広西のよう族の乱などを平定し,十家牌法や郷約を実施するなど軍事的,行政的に名声を博した。彼は初め朱子学を修めたがその性理説に疑問をいだき,思索の末,心即理の原理を悟り,そのうえに知行合一の説を掲げ,晩年,致良知の説を提唱し講学 (同志が結社をつくり研究に努めること) の風を鼓吹した。著書『朱子晩年定論』『伝習録』。
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王陽明
おうようめい
1472.9.30~1528.11.29
中国明代の哲学者・政治家。名は守仁,字は伯安。陽明は号。浙江(せっこう)省余姚(よよう)の出身。官は南京兵部尚書・兼都察院左都御史にいたる。文臣としては明代を通じて武功第一と称され,江西福建の賊乱,宸濠(しんごう)の反乱(寧王による皇位争奪の挙兵),広西瑶(ヤオ)族の乱などを平定。はじめ朱子学を修めたが,宦官(かんがん)劉瑾(りゅうきん)に反対して流された貴州省竜場山中で,南宋の陸象山の心即理説をうけ,これを根本原理とし,知行合一・万物一体・致良知を主張する陽明学を確立。陽明学は客観的哲学である朱子学とは対照的に主観的哲学の色彩がこく,朱子学と並ぶ儒学の2大潮流の一つとなった。弟子との問答・書状を収録した「伝習録」がある。
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王 陽明
おうようめい
1472〜1528
陽明学を唱えた明の哲学者・政治家
名は守仁。浙江 (せつこう) 省余姚 (よよう) の人。27歳で進士となり,地方官を歴任。江西・福建の流賊を討伐し,南昌・広西の反乱を鎮定して両広巡撫になったが,不遇であった。陽明の説は宋学(朱子学)を批判し,宋の陸九淵の教えを継いで知行合一・致良知と変化したが,根本思想は心即理と万物一体を主張した。清末期の改革運動の発展期には,彼の思想は高く評価された。著書に『伝習録』がある。
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王陽明 (おうようめい)
Wán Yáng míng
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世界大百科事典(旧版)内の王陽明の言及
【王守仁】より
…字は伯安,号は陽明。ふつう王陽明とよびならわされる。浙江省余姚(よよう)の人。…
※「王陽明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」