相馬黒光(読み)ソウマコッコウ

デジタル大辞泉 「相馬黒光」の意味・読み・例文・類語

そうま‐こっこう〔サウまコククワウ〕【相馬黒光】

[1876~1955]随筆家宮城の生まれ。旧姓は星。本名りょう。夫、相馬愛蔵とともに中村屋創業荻原守衛中村つねらの芸術家を援助した。著作に「黙移」など。

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20世紀日本人名事典 「相馬黒光」の解説

相馬 黒光
ソウマ コッコウ

明治〜昭和期の随筆家,実業家 中村屋創業者。



生年
明治9年9月12日(1876年)

没年
昭和30(1955)年3月2日

出生地
宮城県仙台

本名
相馬 良(ソウマ リョウ)

旧姓(旧名)

学歴〔年〕
明治女学校〔明治30年〕卒

経歴
女学校卒業後、信州で養蚕指導者となろうとしていた相馬愛蔵と結婚。明治34年夫とともに上京し、東京・本郷でパン屋・中村屋を開業、40年新宿移転。大正時代の中村屋はヨーロッパなみのサロンで、高村光太郎木下尚江エロシェンコ中村彝中原悌二郎など芸術家と交遊し、“中村屋文化サロン”と呼ばれた。随筆家としても活躍し、なかでも「黙移」は島崎藤村、星野天知、北村透谷らの文学界同人や国木田独歩の青年時代の姿を伝え、文壇史、文学史上の貴重な資料となっている。

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改訂新版 世界大百科事典 「相馬黒光」の意味・わかりやすい解説

相馬黒光 (そうまこっこう)
生没年:1876-1955(明治9-昭和30)

芸術家を後援した商人で,自身文筆もよくした。本名良。仙台に生まれ,押川方義の影響でキリスト教徒となる。明治女学校を出て長野県の企業家で社会改良運動家相馬愛蔵と結婚するが,婚家の気風になじまず,1901年夫とともに東京に出,本郷にパン屋中村屋を開業した。はじめは苦労を重ねたが,店を新宿に移してからは東京の西郊への発展も幸いして事業はしだいに軌道に乗り,山手のインテリ層を中心に顧客をひろめた。彫刻家荻原守衛,肖像画家中村彝(つね),ロシア人の詩人エロシェンコらのパトロンとなり,また15年インド独立運動家R.B.ボースを中村屋内にかくまい,長女を嫁がせた。自伝《黙移》がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「相馬黒光」の意味・わかりやすい解説

相馬黒光
そうまこっこう
(1876―1955)

随筆家。宮城県の士族の家に生まれる。旧姓星、本名良(りょう)。文学を志し、宮城女学校、明治女学校に学んで、「アンビシャス・ガール」(大志を抱いている女性)とよばれた。相馬愛蔵と結婚して、新宿中村屋を創業。商売を繁盛に導く一方で、店を芸術家のサロンに開放して、荻原守衛(おぎわらもりえ)(碌山(ろくざん))、中村彝(つね)、エロシェンコらを援助した。半自叙伝『黙移(もくい)』(1934)は、明治女学校や『文学界』同人たちの動静をよく伝えて、文学史、女性史の貴重な資料。『明治初期の三女性』(1940)は、岸田湘煙(しょうえん)(俊子(としこ))ら先進女性たちへの心尽くしの評伝である。

[江刺昭子]

『『黙移』(1982・法政大学出版局)』『宇津恭子著『才藻より、より深き魂に――相馬黒光・若き日の遍歴』(1983・日本YMCA同盟出版部)』『島本久恵著『俚譜薔薇来歌』(1983・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「相馬黒光」の意味・わかりやすい解説

相馬黒光【そうまこっこう】

仙台生れ。本名は良。芸術家を後援したことで知られる。明治女学校を出て相馬愛蔵と結婚するが,1901年夫とともに上京,パン屋中村屋を開業した。新宿への移転に伴い,アトリエを設けてサロンを主宰し,彫刻家の荻原守衛,画家の中村彝(つね),ロシア人の詩人エロシェンコらのパトロンとなった。著書は自伝《黙移》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相馬黒光」の解説

相馬黒光 そうま-こっこう

1876-1955 明治-昭和時代の実業家,随筆家。
明治9年9月12日生まれ。相馬愛蔵と結婚,新宿中村屋を創業。店を文化人のサロンに開放。荻原守衛(おぎわら-もりえ),中村彝(つね),エロシェンコ,ビハリ=ボースらがあつまった。昭和30年3月2日死去。78歳。宮城県出身。明治女学校卒。旧姓は星。本名は良(りょう)。著作に「黙移」「広瀬川の畔(ほとり)」など。

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367日誕生日大事典 「相馬黒光」の解説

相馬 黒光 (そうま こっこう)

生年月日:1876年9月12日
明治時代-昭和時代の随筆家;実業家
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の相馬黒光の言及

【エロシェンコ】より

…1914年,日本エスペラント協会の中村精男(中央気象台長)をたよって来日,東京盲学校特別研究生となり,また日本の盲人の生活を知るためにあんま術を学ぶ。秋田雨雀,大杉栄,中村彝(つね),竹久夢二,小坂狷二,相馬黒光,神近市子,片上伸らと交友,日本語による口述筆記で作品を発表した(処女作《提灯の話》1916)。16年,来日していたインドの詩人タゴールに会い,本能的な放浪者であったエロシェンコは東洋の他の弱小民族の生活を知るためにタイ,ビルマ(現ミャンマー),インドに旅立つ。…

【荻原守衛】より

…文展や太平洋画会展に発表した生命感あふれる新鮮な造形は,工部美術学校以来の外形描写を主とする彫刻界に大きな刺激を与え,戸張孤雁,中原悌二郎中村彝(つね),堀進二ら多くの新進美術家に強い影響を及ぼし,とくに戸張と中原は絵画から彫刻に転じた。荻原を中心に集まった青年美術家たちによって〈中村屋グループ〉が形成されたが,荻原は相馬黒光との恋愛問題に悩んだ。第3回文展の《北条虎吉像》は3等賞となり,大いに注目されたが,帰国の2年後に急死した。…

※「相馬黒光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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