明治〜昭和期の随筆家,実業家 中村屋創業者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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随筆家。宮城県の士族の家に生まれる。旧姓星、本名良(りょう)。文学を志し、宮城女学校、明治女学校に学んで、「アンビシャス・ガール」(大志を抱いている女性)とよばれた。相馬愛蔵と結婚して、新宿中村屋を創業。商売を繁盛に導く一方で、店を芸術家のサロンに開放して、荻原守衛(おぎわらもりえ)(碌山(ろくざん))、中村彝(つね)、エロシェンコらを援助した。半自叙伝『黙移(もくい)』(1934)は、明治女学校や『文学界』同人たちの動静をよく伝えて、文学史、女性史の貴重な資料。『明治初期の三女性』(1940)は、岸田湘煙(しょうえん)(俊子(としこ))ら先進女性たちへの心尽くしの評伝である。
[江刺昭子]
『『黙移』(1982・法政大学出版局)』▽『宇津恭子著『才藻より、より深き魂に――相馬黒光・若き日の遍歴』(1983・日本YMCA同盟出版部)』▽『島本久恵著『俚譜薔薇来歌』(1983・筑摩書房)』
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…1914年,日本エスペラント協会の中村精男(中央気象台長)をたよって来日,東京盲学校特別研究生となり,また日本の盲人の生活を知るためにあんま術を学ぶ。秋田雨雀,大杉栄,中村彝(つね),竹久夢二,小坂狷二,相馬黒光,神近市子,片上伸らと交友,日本語による口述筆記で作品を発表した(処女作《提灯の話》1916)。16年,来日していたインドの詩人タゴールに会い,本能的な放浪者であったエロシェンコは東洋の他の弱小民族の生活を知るためにタイ,ビルマ(現ミャンマー),インドに旅立つ。…
…文展や太平洋画会展に発表した生命感あふれる新鮮な造形は,工部美術学校以来の外形描写を主とする彫刻界に大きな刺激を与え,戸張孤雁,中原悌二郎,中村彝(つね),堀進二ら多くの新進美術家に強い影響を及ぼし,とくに戸張と中原は絵画から彫刻に転じた。荻原を中心に集まった青年美術家たちによって〈中村屋グループ〉が形成されたが,荻原は相馬黒光との恋愛問題に悩んだ。第3回文展の《北条虎吉像》は3等賞となり,大いに注目されたが,帰国の2年後に急死した。…
※「相馬黒光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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