藤井寺(読み)フジイデラ

デジタル大辞泉 「藤井寺」の意味・読み・例文・類語

ふじいでら〔ふぢゐでら〕【藤井寺】

大阪府中東部の市。河内国府が置かれた地。仲哀允恭いんぎょう天皇陵などの古墳葛井ふじいなどの古社寺が多い。住宅地近郊農業が行われる。人口6.6万(2010)。
葛井ふじい

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精選版 日本国語大辞典 「藤井寺」の意味・読み・例文・類語

ふじいでらふぢゐでら【藤井寺】

  1. 大阪府中東部の地名。大阪市南郊の住宅衛星都市。古代、河内国の国府が置かれた。仲哀天皇陵允恭天皇陵などの天皇陵を初め古墳が多い。道明寺道明寺天満宮葛井寺がある。昭和四一年(一九六六市制

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日本歴史地名大系 「藤井寺」の解説

藤井寺
ふじいでら

[現在地名]鴨島町飯尾

飯尾いのおの南西部、四国山地の山麓部にある。金剛山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は薬師如来四国霊場八十八ヵ所の第一一番札所。寺伝によると弘仁年間(八一〇―八二四)空海が四国巡錫の折に清流の地である当地に足を止めて薬師如来像を刻み、この像を本尊として一宇を建立して安置したことに始まるという。また空海は護摩壇を築いて加持祈祷に専念し、境内に五色の藤を植栽したので藤井寺と号したという。当初は真言寺院であった。現本尊胎内背部の墨書銘には久安四年(一一四八)一一月三〇日の年紀があり、「為後世并仏師経尋 丹起兼如房 尺迦仏」と記されていて、本来は釈迦如来像として彫られていることが知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤井寺」の意味・わかりやすい解説

藤井寺(市)
ふじいでら

大阪府中南部、大和(やまと)川左岸にある市。1959年(昭和34)藤井寺、道明寺(どうみょうじ)の2町が合併して藤井寺道明寺町となり、1960年美陵(みささぎ)町と改称。1966年市制施行して藤井寺市となる。市名は名刹(めいさつ)葛井寺(ふじいでら)に由来。市域は羽曳野(はびきの)丘陵の北端をなす藤井寺台地と道明寺台地(別称国府(こう)台地)および石川の河谷平野などからなり、北境に大和川が流れる。近畿日本鉄道南大阪線が通じ、道明寺駅から同道明寺線が分岐。また西名阪自動車道と国道170号(大阪外環状線)が交差する。台地上は先史時代から開発が進み、原始人骨70余体を出土した国府遺跡(国史跡)をはじめ、仲哀(ちゅうあい)、允恭(いんぎょう)の各天皇陵に指定される古墳や古市古墳群(ふるいちこふんぐん)(国史跡)がある。古社寺も多く、百済(くだら)系渡来人の後裔(こうえい)藤井氏の再修と伝える葛井寺や、土師連八島(はじのむらじやしま)の建立といわれる道明寺(もと土師寺)、道明寺天満宮などがあり、河内国国府(かわちのくにこくふ)もこの地にあった。中世の南北朝争乱で衰退、近世には葛井寺は西国三十三所第5番札所として知られた。一帯はモモ、ウメの果樹や水田の農地帯であった。1923年(大正12)大阪鉄道(現、近鉄南大阪線)が開通、藤井寺駅を中心に野球場や住宅地が経営された。第二次世界大戦後は府営・公団の集団住宅が建設され、大阪市の衛星住宅都市となった。工業に酒造業、紙器、電線など中小規模工場がある。面積8.89平方キロメートル、人口6万3688(2020)。

[位野木壽一]

『『藤井寺市史』全18冊(1982~2003・藤井寺市)』


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改訂新版 世界大百科事典 「藤井寺」の意味・わかりやすい解説

藤井寺[市] (ふじいでら)

大阪府南東部の市。1966年美陵(みささぎ)町が市制,改称。人口6万6165(2010)。北部は大和川に接し,南部は羽曳野(はびきの)丘陵で羽曳野市に隣接する。丘陵末端に城山古墳や仲哀陵,允恭(いんぎよう)陵,仁賢陵などが集中し,羽曳野市から続く古市古墳群の一角を占める。東部の国府(こう)は河内国の国府が置かれたところで,無土器,縄文,弥生時代の遺跡や飛鳥時代の寺院跡(衣縫(いぬい)廃寺)もある。1923年の大阪鉄道(現,近鉄南大阪線)開通以後,住宅地が形成されるようになり,第2次大戦後,住宅開発が本格化した。西名阪自動車道のインターチェンジがある。丘陵地では桃やブドウなどの果樹が栽培される。伝統工業の製箔をはじめ,繊維,紙加工,食品,金属,機械などの工場も立地しているが,規模は小さい。土師(はじ)氏の氏寺道明寺には菅原道真の自作と伝えられる十一面観音や鎌倉時代の聖徳太子像(いずれも重要文化財)がある。聖武天皇のころ建立されたとみられる葛井(ふじい)寺は西国三十三所5番札所で,天平時代後期の千手観音(国宝)が残る。
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百科事典マイペディア 「藤井寺」の意味・わかりやすい解説

藤井寺[市]【ふじいでら】

大阪府中部,大和川中流左岸にある市。1966年市制。古墳群地帯で,允恭(いんぎょう)天皇陵,仲哀天皇陵,古室山古墳群(史跡)をはじめ多くの史跡があり,葛井(ふじい)寺道明寺など古寺も多い。米作のほか,イチジク,モモ,ブドウなど果樹栽培がみられる。小規模な紙器・製箔(はく)・化学・金属加工・プラスチック加工工業がある。近鉄南大阪線・道明寺線,西名阪自動車道が通じ,宅地化が著しい。8.89km2。6万6165人(2010)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤井寺」の意味・わかりやすい解説

藤井寺
ふじいでら

葛井寺とも書く。大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の寺。神亀2 (725) 年聖武天皇の御願により行基が開き,大同年間 (806~810) 阿保親王が再興したと伝えられる。南北朝時代には楠氏との関係が深く,のち豊臣秀頼,徳川家光が再建した。西国三十三所観音第5番札所。国宝『千手観音坐像』 (奈良時代) を所蔵する。

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デジタル大辞泉プラス 「藤井寺」の解説

藤井寺

徳島県吉野川市にある寺院。臨済宗妙心寺派。山号は金剛山、本尊は薬師如来。弘仁年間に空海が創建したと伝わる。境内には空海が植えたとされる藤の古木がある。四国八十八ヶ所霊場第11番札所。

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事典・日本の観光資源 「藤井寺」の解説

藤井寺(第11番)

(徳島県吉野川市)
四国八十八箇所」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の藤井寺の言及

【鴨島[町]】より

…東部の牛島地区には工業団地がある。四国八十八ヵ所11番札所藤井寺,平康頼創建の玉林寺,鴨島公園,異常水温(夏季10℃以下,冬季20℃以上)の湧水で知られる吉野川遊園地がある。JR徳島線,国道192号線,国道318号線が通じる。…

※「藤井寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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