評論家。別名風流外道,水道流吉など。東京浅草に生まれる。1895年神田の開成尋常中学校に入学した(田辺元,斎藤茂吉,村岡典嗣らと同級)が,父の死で中退,国民英学会に入る。読書で内村鑑三の影響を受けた。1902年私塾教師のかたわら,自由英学舎で巌本善治,新渡戸稲造らに学ぶ。09年上野女学校英語教師となるが,12年教え子伊藤野枝との恋愛で教職を追われた。16年妻野枝が家出をして大杉栄と同棲すると,比叡山の宿坊に入り,以後,酒を飲み尺八を吹くなどの放浪生活を続けながら翻訳をする。M.シュティルナーに訳業を通して影響を受け,虚無的思想を身につけていった(《唯一者とその所有》を1921年に完訳)。ついで能動的なニヒリズムを唱えた《浮浪漫語》(1922)を刊行する。詩人高橋新吉を知り,《ダダイスト新吉の詩》(1923)を編集,また,ダダの思想を語った《ですぺら》を刊行。25年7月荒川畔村らと雑誌《虚無思想研究》を創刊した(1926年2月廃刊)。28年読売新聞特派員として長男一(まこと)とパリに在住し,翌年シベリア経由で帰国。痛烈なる文明批判の書《どうすればいいのか?》(1929),《絶望の書》(1930)などを刊行。32年精神錯乱のため斎藤茂吉の診察を受け,青山脳病院に入院する。以後,入院と放浪を繰り返し,44年寮の一室で餓死した。
執筆者:山田 武
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大正・昭和期の評論家,翻訳家
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