鈴木三郎助(読み)すずき・さぶろうすけ

朝日日本歴史人物事典 「鈴木三郎助」の解説

鈴木三郎助(2代)

没年:昭和6.3.29(1931)
生年:慶応3.12.27(1868.1.21)
明治大正期の実業家。味の素の創設者。相模国(神奈川県)三浦郡堀内村の米酒商人鈴木三郎助(初代)の長男。幼名泰助,のち三郎助を襲名。父が早世したので母なかに育てられ,堀内小学校,耕余塾に学び,米酒問屋に奉公後,家業を継いだが米相場で失敗し,明治20(1887)年,葉山で海草からヨードを製造する事業を起こした。40年に日本化学工業創立に参加したが,41年初めにグルタミン酸ソーダの発明者池田菊苗と知り合い,特許権を共有登録して同年12月から逗子工場で工業化に着手した。苦心の末,常滑産の道明寺甕を利用して小麦の麸を塩酸で分解する製法を完成させた。池田が「味精」と名付けた新調味料を「味の素」と命名して,42年5月から発売を開始した。 家庭の主婦が瓶を持った図に「味の素」の文字を入れたいわゆる「美人商標」を登録し,新聞広告,チラシ,市内電車内広告から,楽隊を先頭に旗をたてて街を練り歩く街頭宣伝までの斬新な宣伝活動を展開した。工場公害問題や原料が蛇だというデマなどに悩まされながら,味の素の販路開拓に成功した。大正3(1914)年から川崎工場の操業を開始し,14年には合資会社鈴木商店を株式会社鈴木商店に改組した(味の素株式会社となったのは1946年)。アジアはもとより大正9年にはアメリカにも子会社設立するなど積極的な海外戦略も展開した。新商品に着目し,新しいマーケティング手法で市場を開拓した日本の代表的なアントルプルヌア(企業者)のひとりである。<参考文献>故鈴木三郎助君伝記編纂委員会編『鈴木三郎助伝』,石川悌次郎『鈴木三郎助伝・森矗昶伝』

(三和良一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木三郎助」の意味・わかりやすい解説

鈴木三郎助
すずきさぶろうすけ
(1867―1931)

実業家。神奈川県葉山に初代三郎助の長男として生まれる。幼名泰助。父の死で、1884年(明治17)に家督相続。約3年間耕余塾(陽明学)で学んだのち、家業の雑穀酒類を商う。88年大日本製薬の村田技師の助言で、母とともに結晶沃度(ようど)の製造に成功した(のちに鈴木製薬所に発展)。原料の海藻購入の機縁で上総(かずさ)(千葉県)の森矗昶(のぶてる)と会い、のちに共同事業経営へと発展した。一方、1908年(明治41)には池田菊苗(きくなえ)が開発した独特の調味料「味精」の特許権共有者となり、翌年神奈川県逗子(ずし)に工場を建設し「味の素(あじのもと)」の名で売り出した。このほか創設した企業に、東信電気、千曲(ちくま)川電力、犀川(さいかわ)電力、昭和肥料(森と共同)がある。

[西村はつ]

『故鈴木三郎助君伝記編纂会編・刊『鈴木三郎助伝』(1932)』

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20世紀日本人名事典 「鈴木三郎助」の解説

鈴木 三郎助(2代目)
スズキ サブロウスケ

明治〜昭和期の実業家 味の素創業者;昭和電工創立者。



生年
慶応3年12月27日(1868年)

没年
昭和6(1931)年3月29日

出生地
相模国三浦郡堀内村(現・神奈川県三浦郡)

別名
幼名=泰助

経歴
神奈川県葉山海岸の雑穀、酒店の長男。9歳で父と死別、泰助を三郎助と改名、家業を継いだが、米相場に手を出し破産。母かなが沃度灰(ケルプ)の生産を始め、それを受け継いで明治23年、海草からヨード製出方法に成功。40年鈴木製薬所を創立、専務に就任。41年東京帝大教授池田菊苗が発明したグルタミン酸塩を調味料として製造する特許(味精)を共有し、工業化、大成功した。これが“味の素”で、逗子工場で製造発売。大正3年川崎にも工場を建設、14年には合資会社鈴木商店を株式会社鈴木商店(のちの味の素株式会社)に改組、社長に就任した。また森矗昶と協力、昭和電工を興した。


鈴木 三郎助(3代目)
スズキ サブロウスケ

大正・昭和期の実業家 元・味の素社長。



生年
明治23(1890)年6月23日

没年
昭和48(1973)年6月19日

出生地
神奈川県葉山町

別名
幼名=三郎

学歴〔年〕
京華商業〔明治40年〕卒

経歴
明治41年父の“味の素”製造事業開始とともに、販売を担当し、宣伝と代理店確保につとめた。大正6年鈴木商店取締役、昭和2年常務を経て、6年父の死去により3代目三郎助を襲名、7年味の素本舗専務となる。国内外に市場を拡大し、15年社長に就任。戦後は公職追放にあったが復帰し、27〜40年味の素の会長をつとめ、宣伝販売と海外進出を指導した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木三郎助」の意味・わかりやすい解説

鈴木三郎助
すずきさぶろうすけ

[生]慶応3(1867).12.27. 相模
[没]1931.3.29.
化学調味料「味の素」の製造者。 1892年弟の忠治と共同経営で鈴木製薬所を開業,海藻からヨード原料を製造していたが,1909年東京大学教授池田菊苗が発明したグルタミン酸塩を主成分とする化学調味料の工業化を依頼されて成功,鈴木商店味精部で商品生産し,「味の素」の商標名で国内,アジア各国に販売して大成功を収めた。鈴木商店は第2次世界大戦後の 46年,味の素株式会社へ改組。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木三郎助」の解説

鈴木三郎助(2代) すずき-さぶろうすけ

1868*-1931 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応3年12月27日生まれ。ヨード製造業をへて,明治41年池田菊苗(きくなえ)が発明した新調味料の特許権共有者となり,翌年工業化し「味の素」として発売。大正14年鈴木商店(現味の素)を設立。森矗昶(のぶてる)と昭和肥料(現昭和電工)創立につくした。昭和6年3月29日死去。65歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。幼名は泰助。

鈴木三郎助(3代) すずき-さぶろうすけ

1890-1973 明治-昭和時代の実業家。
明治23年6月23日生まれ。2代鈴木三郎助の長男。父のはじめた味の素の製造事業に参加,販売を担当する。昭和6年3代目をつぐ。15年味の素本舗社長,のち会長。昭和48年6月19日死去。82歳。神奈川県出身。京華商業卒。本名は三郎。

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367日誕生日大事典 「鈴木三郎助」の解説

鈴木 三郎助(2代目) (すずき さぶろうすけ)

生年月日:1868年12月27日
明治時代-昭和時代の実業家。昭和肥料社長;味の素創始者
1931年没

鈴木 三郎助 (すずき さぶろうすけ)

生年月日:1890年6月23日
明治時代-昭和時代の実業家
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鈴木三郎助の言及

【味の素[株]】より

…〈味の素〉で知られる総合食品化学会社。2代目鈴木三郎助とその家族によって1888年創業された鈴木製薬所が前身。神奈川県葉山で,ヨード製造を家内工業で行っていたが,化学薬品にも手を広げ1907年合資会社鈴木製薬所に改組(1912年鈴木商店)。…

※「鈴木三郎助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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