幕末の佐賀藩主。幼名貞丸、初め斉正(なりまさ)。維新後直正と改名し、閑叟(かんそう)と号した。1830年(天保1)父斉直(なりなお)から家督を継いだが、前代の放漫財政によって藩財政は破綻(はたん)寸前であった。古賀穀堂(こがこくどう)らの改革派を側近に置き、藩校弘道館(こうどうかん)出身の人材を登用して人事を刷新し、天保(てんぽう)の改革を行った。均田制を施行して本百姓(ほんびゃくしょう)維持政策をとり、国産方を設置し、陶器、櫨蝋(はぜろう)、紙の開発や石炭の増産を行い、財政を立て直した。また、佐賀藩は長崎警備の任にあり、直正自身しばしば長崎に赴き、外国警備の重要性、西洋技術の優秀性を認めていたため、早くから洋式軍制改革を実施した。1852年(嘉永5)わが国で初めて反射炉の建設を成功させ、大量の銃砲を購入し、西洋艦船の製造・購入に努めた。また蘭学(らんがく)を奨励し、種痘(しゅとう)を施行し、幕末に薩長土肥と通称される雄藩の実力を養った。藩政改革の成功の反面、幕末の幕府・朝廷をめぐる政争への介入には一貫して慎重であり、直正は1860年(万延1)の幕府の召命を固辞し、翌1861年(文久1)隠退して二男直大(なおひろ)に家督を譲った。その後も招きによって再三上京したが政争への参加には慎重であった。戊辰(ぼしん)戦争では、強力な軍事力によって官軍に重きをなし、大隈重信(おおくましげのぶ)、江藤新平(えとうしんぺい)ら藩の実力者を新政府に送り込み、自らも議定につき、軍防事務局輔(すけ)、ついで制度事務局輔を兼任した。その後、上局議長、蝦夷(えぞ)開拓督務、開拓使長官を務め、大納言(だいなごん)に任ぜられた。明治4年1月18日没。
[井上勝生]
『久米邦武編『鍋島直正公伝』全7巻(1920~21・鍋島家編輯所)』
幕末の佐賀藩主。号は閑叟(かんそう)。1830年(天保1)襲封。当時の佐賀藩は藩財政が窮乏し郷村の疲弊が著しかったので,藩政改革に着手し,郷村の復興と農商分離の政策を行う。なかでも均田制度と称された土地分給政策は農商分離の徹底を目ざしたもので,商人の郷村での土地保有が徹底的に排除された。また幕末期の外圧の高まりに対しては,佐賀藩が長崎警衛を担当していたこともあって長崎砲台の増築と軍事技術の改善を行い,反射炉を築き大砲製造の体制を整えた。これらの費用を賄うために殖産政策を遂行し,開国以降は長崎や上海での交易を深めた。藩校弘道館を通じて輩出した俊材を積極的に活用した。しかし根本的な体制の変革は望まず,倒幕路線には賛成しなかった。
執筆者:長野 暹
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1814.12.7~71.1.18
幕末期の大名。肥前国佐賀藩主。父は斉直。号は閑叟(かんそう)。1830年(天保元)家督相続。質素倹約を旨とした藩財政の緊縮策を推進。37年から農村支配機構の改革,小作料の10年間猶予による本百姓体制の再編,臘・石炭などの特産物奨励などを行った。伊王島・神島に洋式砲台を設置,また洋式大砲鋳造のため大銃製造方を設け国産初の反射炉を建設。西洋理化学研究所である精錬方をおく。また佐野常民ら藩士を長崎海軍伝習所に派遣,西洋船舶を輸入し強大な海軍力を育成した。さらに種痘を世子直大(なおひろ)に施し西洋医学の摂取に努めた。61年(文久元)隠居したが藩政を主導し,戊辰(ぼしん)戦争では育成した軍事力が官軍の勝利をもたらし,明治政府のなかでの佐賀藩の地位を高めた。
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…版籍奉還後,ただちに開拓使が設置されたのは,日露雑居の地樺太をめぐってロシアとの関係が緊張し,北方の開拓が急務とされたからであり,開拓によって国富を増進できるのではないかという期待もあった。開拓長官は初め鍋島直正,次いで東久世通禧(みちとみ)だったが,1870年5月に黒田清隆が開拓次官になってからは,黒田が開拓使の実質的な中心となった。黒田は74年8月から開拓長官となり,鹿児島出身の官僚を多く集めたので,開拓使は薩摩閥の独占するところとなった。…
… 領内では郷村が零落し商人の土地保有が進行した。このため,鍋島直正により改革が着手された。改革は当初郷村復興に重点が置かれ小作料納入猶予がとられたが,さらに土地を小作人に配分する政策が断行され,郷村復興費もかなり支出され,また藩借銀の整理が推進された。…
※「鍋島直正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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