明治初期,東京にあった官立洋学教育機関の一つ。東京大学の源流の一つである。1868年(明治1)1月から69年12月までの初期開成学校と,73年4月から74年5月までの後期開成学校に分かれる。前者は幕府設立の開成所(蕃書調所の後身)を明治政府が引きつぎ,洋学教育,翻訳・出版認可等の役割を課した。のち大学や他の学校制度の変遷とともに大学南校,南校,第一大学区第一番中学と改称され,学制(1872)体制のもとでふたたび開成学校となった。法学,理学,工学,文学系の専門学校の一つで,外国人教師の指導のもとに専門諸学の教育に当たった。また外国語学の教育にも大きな比重をかけた。74年東京開成学校と改称され,77年東京大学の法・理・文学部に再編された。
→東京大学
執筆者:寺崎 昌男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治初期の官立学校。1869年(明治2)までの初期開成学校と,73年からの後期開成学校に分かれる。前者は1868年,旧幕府直轄の開成所を新政府が接収し,開成学校と改称して設置された。翌年より大学南校,南校,第一大学区大一番中学などと改称を繰り返した。後者は「学制二編追加」のお雇い外国人教師による専門学校構想を背景として,1873年に第一大学区大一番中学が再び開成学校と改称されて成立したもので,翌74年には東京開成学校に改称された。外国人教師の指導のもとで,法学・理学・工業学は英語で,諸芸学はフランス語で,鉱山学はドイツ語で専門教育が行われるとともに,予科の語学教育と普通教育にも力が入れられた。1877年,東京医学校と東京開成学校を併せて東京大学が設立され,東京開成学校を母体として法学・理学・文学の3学部がつくられた。
著者: 冨岡勝
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
明治初期,東京にあった官立洋学校。1868年(明治元)9月旧幕府直轄の開成所を新政府が改称して設立。大学南校の前身。医学校とともに昌平学校(旧,昌平坂学問所)を補佐して,英・独・仏の外国人教師らが語学・普通学を教授した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…今日の日本の学校の場合,小・中・高等学校では3学期制,大学は2学期制を採用しているところが大部分である。 高等教育機関の一つであった開成学校(東京大学の前身の一つ)は,1873年に9月より翌年7月までを,はじめて〈学歳〉(今日の学年に相当)と定めたが,これは,外国人教師をかかえ,欧米風の学校制度を採用したからであった。以後約50年間にわたって,大学,旧制高校などで9月学年始期制が踏襲された。…
…現在の東京大学法・理・文学部の源流。1869年(明治2)6月,明治政府は旧江戸幕府直轄の高等教育機関昌平学校(昌平坂学問所)を大学とし,これに開成学校(開成所),医学校(医学所)の2校を分局として統合,同年12月開成学校を大学南校と改称した。これは本郷湯島にあった大学本校の南にあたる神田一ッ橋に位置していたためである。…
…そのため生徒の数が激増し教官の数が不足したため,翌年には教官の職制を改めて教官数41名とした。大政奉還後,開成所は外国奉行の所管に移され,明治政府成立後は接収されて,名を開成学校と改め,69年(明治2)大学校の設置にともない,これに吸収され,のちに帝国大学の一部門となった。【佐藤 昌介】。…
※「開成学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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