オロシウス Paulus Orosius
- 改訂新版 世界大百科事典
- ローマ帝国末期のヒスパニア(スペイン)出身の司祭。生没年不詳。414年,すでに《プリスキリアヌス派およびオリゲネス派の過誤に関する教訓書》を著…
レプシウス れぷしうす Karl Richard Lepsius (1810―1884)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- プロイセンのエジプト学者。1842年から45年にかけて、時の皇帝フリードリヒ・ウィルヘルム4世の援助を受け、エジプトおよびヌビア地方を調査した。こ…
オロシウス Orosius, Paulus
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 4世紀末から5世紀初め頃のスペインの司祭,歴史家。 414年頃ヒッポにおもむき,そこでアウグスチヌスに会ってその弟子となった。アウグスチヌスのす…
ペルシウス ぺるしうす Aulus Persius Flaccus (34―62)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 古代ローマの風刺詩人。ルキリウス以来の伝統を継承して六編の風刺詩を残す。第一歌以外は風刺詩というより訓戒詩で、日常生活の実例を用いながらス…
アルカディウス Arcadius
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 377〜408最初の東ローマ(ビザンツ)帝国皇帝(在位395〜408)テオドシウス帝の子。父の死後,弟ホノリウスとローマ帝国の共同統治者となり,帝国の…
Phi・lip・pi /filípai/
- プログレッシブ英和中辞典(第5版)
- [名]フィリッピ,ピリピ(◇ギリシャマケドニアの古代都市;オクタビアヌスとアントニウスがブルートゥスとカッシウスを破った地).meet at Philippi…
アリウス Arius
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]250頃.リビア[没]336. コンスタンチノープルアリウス派の創始者。アレイオス Areiosとも呼ばれる。アレクサンドリア教会の司祭であったが,イエ…
カッシウス Cassius, Hemina
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 前2世紀頃のローマの年代記編者。初期イタリア時代とローマの建国から第2次ポエニ戦争までの歴史を第3次ポエニ戦争直前に書いた。彼の関心はイタリア…
カニシウス Canisius, Petrus
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1521.5.8. ニンヴェーゲン[没]1597.12.21. フリーブルドイツのカトリック神学者,教会博士,聖人。イエズス会の司祭としてバイエルン,ウィーン…
リプシウス Lipsius, Justus; Joest Lips
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1547.10.18. オーベルイス[没]1606.3.23/24. ルーバンベルギーのユマニスト,古典学者。ローマでド・クランベル枢機卿の秘書をつとめたのち,157…
ムルシウス Meursius, Johannes
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1579[没]1639オランダの歴史家。古代ギリシア史を研究し,アテネの地誌に関する3編の研究を残した。
カッシウス Gaius Cassius Longinus
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 前83?~前42ローマ共和政末期の政治家。カエサル暗殺者の一人。内乱ではポンペイウス側についたが,カエサルにゆるされた。ブルトゥスとともにカエ…
テオドシウス3世 テオドシウスさんせい Theodosius III
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- ビザンチン皇帝 (在位 715~717) 。徴税官の出身。テマ・オプシキオンの強い要請で,みずからの意志に反して,アナスタシウス2世に対する反対皇帝と…
スティリコ Flavius Stilicho
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- ?~408西ローマ帝国の将軍,政治家。ヴァンダル人のローマ軍人の子。テオドシウス帝に抜擢され,その子ホノリウス帝(帝妃は彼の娘)のもとでアラリッ…
ディオニシウス・エクシグウス Dionysius Exiguus
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]470頃.スキチア[没]550頃.ローマローマの司祭。「小ディオニシウス」の意。6世紀の前半頃ローマで活躍した。神学,数学,天文学に優れる。使徒教…
たな‐したて【棚仕立て】
- デジタル大辞泉
- 棚を作って果樹の枝を横に張らせる栽培法。ナシ・ブドウなどで行われる。
スティリコ
- 百科事典マイペディア
- ローマ帝国末期の軍人。バンダル族の出身。テオドシウス1世に見いだされ,ホノリウス帝(帝妃はスティリコの娘)の下で最高司令官となり,西ゴート…
テオドシウス朝 (テオドシウスちょう) Theodosius
- 改訂新版 世界大百科事典
- ローマ皇帝テオドシウス1世の死(395)後,帝国東部ではアルカディウス帝を経てテオドシウス2世の死(450)まで,西部ではホノリウス帝を経てウァレ…
とうきょうふじびじゅつかん 【東京富士美術館】
- 日本の美術館・博物館INDEX
- 東京都八王子市にある美術館。昭和58年(1983)創立。創価学会インタナショナル会長池田大作が開設。西洋絵画を中心とするコレクションを収蔵・展示す…
ケレスチヌス1世 ケレスチヌスいっせい Coelestinus I
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?. カンパーニア[没]432.7.27. ローマカンパーニア(→カンパーニア州)出身の第43代教皇(在位 422~432)。聖人。ローマ教会の助祭だったが,42…
かた‐なし【形無】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 ( 形動 )① 本来の姿が、そこなわれてしまって、あとに残らないこと。また、そのさま。形跡もないこと。あとかたなし。[初出の実例]「小倉…
かた‐な・し【形無】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 形容詞ク活用 〙① 本来あるべき形や価値がない。(イ) 姿かたち、容貌がみにくい。きたない。[初出の実例]「形姿(かをすがた)穢陋(カタナシ)」(出…
ファーレンハイト度 ふぁーれんはいとど degree Fahrenheit
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 水の凝固点を32度、沸点を212度とし、この間を180等分した温度目盛り。ファーレンハイトにより1724年に提唱された。記号はで、ファーレンハイトの中…
派 pā [漢字表級]1 [総画数]9
- 中日辞典 第3版
- →pāsi【派司】[異読]〖派pài〗
マクシムス Maximus, Magnus
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]388.8.28.古代ローマの帝位僭称者 (383~388) 。貧しいヒスパニア人の出で,ブリタニアの軍団に推され帝位を僭称。グラチアヌス帝を倒し,…
ドルシラ Drusilla, Julia
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]16[没]38古代ローマの軍人で,チベリウス帝の養子だったゲルマニクス・カエサルとアグリッピナ (大)の次女。カシウス・ロンギヌス次いでアエミリ…
モンテ・コルビーノ Monte Corvino, Giovanni di
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1247[没]1328イタリアの宣教師で,中国元朝におけるカトリック教会の初代大司教。 1272年フランシスコ修道会に入り,カトリックの東方進出に意欲…
はなし‐うま【放馬】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 放し飼いにする馬。繋(つな)いでおかない馬。はなちうま。[初出の実例]「田中の道のとをりくれ行〈依々〉 月ほそくをのが家しるはなし馬…
高山洋吉 (たかやま-ようきち)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 1901-1975 昭和時代の社会運動家。明治34年4月22日生まれ。大正15年産業労働調査所にはいり,「インタナショナル」「産業労働時報」などに執筆。昭…
は 派
- 小学館 和伊中辞典 2版
- (宗教の)setta(女),scuola(女);(芸術・学問の)scuola(女);(政党の)corrente(女),fazione(女),gruppo(男) ¶賛成[反対]派|parte favore̱…
は【派】
- プログレッシブ和英中辞典(第4版)
- 〔学派〕a school;〔党派〕a party;〔派閥〕a faction, a clique;〔宗派〕a sect;〔団体〕a groupアララギ派the Araragi Schoolアリストテレス派…
ミロ Milo, Titus Annius
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]前48. コサ古代ローマの政治家。ポンペイウス派に属し,カエサル派の L.クロディウスと無法者や剣闘士奴隷 (グラディアトル ) を率いて抗争…
ヨハネス1世 ヨハネスいっせい Johannes I
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?. トスカナ[没]526.5.18. ラベンナトスカナ出身の第53代教皇(在位 523~526)。聖人。コンスタンチノープルを訪れた最初の教皇。ビザンチン皇…
キュリロス[エルサレム] Kyrillos; Cyril of Jerusalem
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]315頃.エルサレム[没]386.3.18.エルサレムの司教,教会博士,聖人。ニカイア信条の熱心な擁護者であったことからアリウス派の教会会議によって迫…
ぎゅむなしうむ【ギュムナシウム】
- 改訂新版 世界大百科事典
アタナリック Athanaric
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]381西ゴートの族長。 369~372年にダキア (現ルーマニア) のキリスト教徒を激しく迫害した。しかし 376年にフン族に敗れて,トランシルバニ…
メテルス・ピウス Metellus Pius, Quintus Caecilius
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]前64頃古代ローマの軍人,政治家。カエキリウス氏のなかでも有力なプレプス (平民) の出身。メテルス・ヌミディクスの子。父の帰還に尽した…
Te・o・do・sio, [te.o.đó.sjo]
- 小学館 西和中辞典 第2版
- [固名] ~ I el Grande テオドシウス1世[大帝]:スペイン生まれのローマ皇帝(在位379-395).帝国を東西に二分して子供に譲った.[←〔ラ〕Theodo…
フラビアヌス1世[アンチオキア] フラビアヌスいっせい[アンチオキア] Flavianus I; Flavian I of Antiocheia
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]320頃[没]404. ペトラアンチオキア総大司教。アリウス派によってもたらされた,いわゆるアンチオキア離教 (361~415) において,正統のニカイア…
ソーマ(Rabban Bar Sauma)
- デジタル大辞泉
- [1220ころ~1294]元の大都(北京ペキン)生まれの、キリスト教ネストリウス派の僧。エルサレムへの巡礼を志し、1287年、イル‐ハン国から使節として…
へいみん‐かい〔‐クワイ〕【平民会】
- デジタル大辞泉
- 古代ローマの民会の一。前5世紀ごろ、対パトリキ(貴族)抗争の結果として設置。当初はプレブス(平民)だけの集会だったが、前287年のホルテンシウ…
グレゴリオス(ニュッサの)【グレゴリオス】
- 百科事典マイペディア
- ギリシア教父。ニュッサNyssa主教。バシレイオスの弟で,〈カッパドキア三星〉の一人。一貫してアリウス派と闘い,三位一体の正統教義,ウシア(本質…
グユク=ハン Güyük Khan
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 1206〜1248モンゴル帝国第3代皇帝,定宗(在位1246〜48)オゴタイ=ハン(太宗)の長子。即位にはバトゥが反対したが,大ハン権力の強化や高麗 (こ…
アリジゴク ありじごく / 蟻地獄 ant-lion
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 昆虫綱脈翅(みゃくし)目ウスバカゲロウ科の種類のうち、地表にすり鉢状の巣をつくる幼虫をさしてアリジゴクという。ウスバカゲロウやホシウスバカゲ…
スコトゥス・エリウゲナ すことぅすえりうげな Johannes Scotus Eriugena (810ころ―877ころ)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ヨーロッパ中世初期の神学者、哲学者。アイルランドに生まれ、当時その地で培われていた古典文化の教養を身につけ、847年以前にカール2世に招かれて…
かしうすきん【カシウス金】
- 改訂新版 世界大百科事典
はなし‐うち【放打・放討】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 武家時代、死刑ときまった罪人などを拘置しないで、放任しておいて討ち取ること。拘留状態からいったん解放して、あとで殺害させること。…
ガッラ・プラキディア がっらぷらきでぃあ Aelia Galla Placidia (390ころ―450)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ローマ皇帝テオドシウス1世の娘。410年ローマ市に侵入した西ゴートに連れ去られ、414年アタウルフ王と結婚。同王の死(415)後、ローマ側に返還され…
ティーレ
- 百科事典マイペディア
- オランダの宗教学者,神学者。初めアルミニウス派牧師,後にライデン大学教授となり,新設された宗教学・宗教哲学の講座を担当,エジプトやオリエン…
は【派】
- デジタル大辞泉
- 1 一つのもとから分かれ出た、流儀や傾向・態度を同じくするそれぞれの仲間・系統。「党内に新しく派を立てる」2 接尾語的に用いて、仲間・系統を…