古代ローマの民会の一つ。平民だけの出席する集会で、共和政初期には国民の一部をなす貴族を含まないところから正規の民会ではなかったが、平民(プレブス)の生命・財産を守るべき護民官の選出や、政治的案件に関する決議(平民会決議)を行った。元老院は国民の大多数をなす平民の総意を尊重することを政治的に得策と考えたから、これらの決議を多くの場合尊重し、おそらくはケントゥリア民会の決定(法)として追認した。紀元前287年成立したホルテンシウス法は、平民会の決議を全国民に対して有効なものと定め、以後決議は法と同等の効力をもった。平民会はトリブス(区)単位に投票を行っていたので、平民会とトリブス民会は、少数の貴族参加の有無の違いだけとなり、平民会に貴族が出席することも普通となった。ケントゥリア民会のように開会でのめんどうな宗教的手続を必要としなかったので、立法民会としては平民会のほうが用いられた。
[弓削 達]
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古代ローマの民会の一つ。元来はプレブス(平民)が構成単位となる民会であり,トリブスという行政区画単位で投票が行われた。議長は護民官。この民会の議決は国法と認められなかったが,パトリキとの身分闘争の結果,前287年のホルテンシウス法で全ローマ市民を拘束する国法と認められ,パトリキも構成員に加えられた。これ以後トリブス会(comitia tributa)と称し,国制上の民会となった。下級政務官の選挙や立法のほかに金銭刑の裁判を行った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…いわゆる護民官,平民トリブヌスは元来,臨戦態勢下の平民の指導者で,彼の身体生命の不可侵と侵犯者への復讐を誓う平民に守られた。本来の国家公職でないので平民が毎年,平民会で選挙し,前449年には定員10名が確定した。主務は何より平民救援で,公職者,特にコンスルの懲戒や公務執行を干渉権で阻止し,抵抗すれば逮捕,投獄し得た。…
…前287年ローマのディクタトル,ホルテンシウスが制定させた法。これ以前,平民会は全国民ではなく平民だけの集会だったので,そこでの議決は全国民に対し法的拘束力をもたなかったが,この法によって平民会の議決は全国民を拘束するものとなった。かくしてパトリキ(世襲貴族)とプレブス(平民)との身分闘争は終りを告げたが,新貴族層(ノビリタス)がすでに形成されており,ローマ国家の完全な民主化は達成されなかった。…
…スパルタの民会では賛否の叫び声で採決された。【太田 秀通】
【ローマ】
ローマの民会,コミティアcomitiaは全市民の決議集会であるが,貴族を除く平民会,コンキリアconciliaも後に民会の意義を担った。構成は市民団の下部区分に即応し,古来の3部族が含む30クリアでクリア民会,王政期末以来の193ケントゥリアでケントゥリア民会を構成し,トリブス民会(トリブス),平民会は35地区に基づく。…
…平民の中の有力者は貴族との同権化を欲し,貧民は土地と,貴族の政務官(マギストラトゥスmagistratus)の横暴からの安全と自由などを求め,平民は大挙してローマ市から退去して近くの聖山(モンス・サケル)に立てこもった。貴族は譲歩し,その結果平民の権利を守る護民官と市場管理官(アエディレスaediles)の2役と,平民だけの集会(平民会。コンキリウム・プレビスconcilium plebis)の設置を認めた。…
※「平民会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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