ウルゲンチ(読み)うるげんち(英語表記)Ургенч/Urgench

デジタル大辞泉 「ウルゲンチ」の意味・読み・例文・類語

ウルゲンチ(Urganch)

中央アジアウズベキスタンアムダリア沿いにある古都。13世紀初め、ホラズム朝首都として栄えたが、モンゴル軍に滅ぼされた。近年工業が盛ん。

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精選版 日本国語大辞典 「ウルゲンチ」の意味・読み・例文・類語

ウルゲンチ

(Urgenč) ウズベキスタン共和国の古都。一三世紀初頭ホラズムシャー朝の首都として栄えたが、モンゴル軍に滅ぼされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウルゲンチ」の意味・わかりやすい解説

ウルゲンチ
うるげんち
Ургенч/Urgench

ウズベキスタン共和国の都市アムダリヤ下流左岸にある。古くはさらに下流にあり(旧(クニャ)ウルゲンチ)、中国では玉竜傑赤などと書かれる。イランと北方遊牧民の交易中継地として栄え、12世紀後半にはトルコ系のホラズム・シャー朝の首都として繁栄した。1221年モンゴル軍の攻撃を受けて堰堤(えんてい)が決壊し、市街は埋没した。10年後すぐ南に再建され、隊商貿易の中心として復興した。いまも12~14世紀のイスラム廟(びょう)が残っている。

 18世紀にアムダリヤの河道の変遷によって、住民はやや上流の新(イェニ)ウルゲンチに移った。ここはホラズム地方の政治、経済の中心都市で、近年は工業都市として発展し、タシケント空路、鉄道が通じている。人口は13万9100(1999)、14万1685(2019推計)である。なお、南西32キロメートルに、16世紀以来ホラズム王アラブ・ムハンマド・ハンが全ホラズムの首都としたヒバがある。ヒバは内城内の建物、たとえば宮殿墓廟(ぼびょう)などがそのままの形で残っており、中世イスラム都市の特色をよく示している。

[長澤和俊]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウルゲンチ」の意味・わかりやすい解説

ウルゲンチ
Urgench

中央アジア,ウズベキスタン共和国の都市で,アム・ダリヤ下流左岸に位置し,中世ホラズム地方の中心地であった。紀元前から存在したオアシスであるが,12世紀末ホラズム・シャー朝の首都となって最盛期を迎えた。イランと北方草原地帯との交易の中継地であったため,繁栄と同時にモンゴルをはじめ周辺諸勢力の侵攻を受けることも多く,数度の破壊と場所を移動した再建がくりかえされた。17世紀中ごろ,アム・ダリヤの河道の変化や行政の中心がヒバに移ったことにより衰え,現在は廃墟となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルゲンチ」の意味・わかりやすい解説

ウルゲンチ
Urgench

ウズベキスタン西部,ホレズム州の州都。 1925年までノボウルゲンチ Novo-Urgench。アムダリア下流部左岸,シャバト運河に臨む。現在の市の北西約 130kmにあった旧ウルゲンチの住民が,17世紀中頃に移住してきてつくった都市で,ヒバ・ハン国の交易中心地であった。綿作の盛んなオアシスの中心にあり,繰綿,綿実油,乳製品,ワイン,食肉などの工業が立地する。教育大学,劇場がある。トルクメニスタンのチャルジョウとカスピ海方面を結ぶ鉄道が通る。人口 13万 400 (1991推計) 。

ウルゲンチ
Urgench

中央アジア,アムダリア下流にあった,中世のホラズム・シャー朝の首都。現在はトルクメニスタンに属する。 13~14世紀の歴史的建築物が多く残っており,クニャ (「旧」の意) ウルゲンチと呼ばれている。 2005年世界遺産の文化遺産に登録された。これに対し,その南東方約 130kmにあるウルゲンチはノボ (新) ウルゲンチとも呼ばれた別の都市である。

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