八代平野(読み)やつしろへいや

改訂新版 世界大百科事典 「八代平野」の意味・わかりやすい解説

八代平野 (やつしろへいや)

熊本県中南部に展開する平野。北は宇土半島の付け根から南は八代市日奈久に至り,東は益城(ましき丘陵と八代・日奈久断層崖で限られ,西は八代海に面する。この平野は,九州山地から八代海に注ぐ球磨川をはじめ氷川,砂川,大野川などのつくる南北に細長い扇状地性の複合三角州と干拓地からなる。平野の約55%は近世初頭以来の干拓地で,なかでも八代市の旧鏡町の七百町新地(1821完成)は藩政時代の干拓地としては最大である。また1904年に八代郡独力で完成した郡築(ぐんちく)新地は1047haに及ぶ。

 八代平野の耕地大部分は低平な水田で,夏は米,冬はイグサが栽培される。イグサの特産地で,とくに平野中南部の八代市の旧鏡町,旧千丁町ではイグサ栽培とともに畳表(肥後表)の生産が盛んである。イグサ栽培の歴史は古く,1505年(永正2)旧千丁町上土の城主岩崎忠久が付近の湿田にイグサの栽培と畳表の加工を勧めたのが始まりと伝えられている。またこの平野では藩政時代以来,球磨川からの太田井手や麓川用水の建設などの水利事業,土地基盤整備事業が進められ,生産力の向上に寄与している。最近は刈取り泥染乾燥などイグサ栽培工程の機械化が進み,昔の重労働は軽減されつつある。そのほかトマト,メロンなど果菜類施設園芸も盛んで,北部不知火(しらぬい)干拓地では米麦中心の大型機械化農業が展開している。平野の中心都市は八代市で,山麓沿いに九州自動車道,国道3号線,鹿児島本線とそれに続く肥薩おれんじ鉄道が南北に走る。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八代平野」の意味・わかりやすい解説

八代平野
やつしろへいや

熊本県南西部、宇土(うと)半島、豊田(とよた)分丘山地、九州山地北部ならびに八代海に囲まれた熊本平野の南半域。日奈久(ひなぐ)断層崖(がい)と直交するような形状で八代海に流れ込む砂川、氷(ひ)川、鏡川、球磨(くま)川などの複合三角州と、その西の干拓地とからなるこの平野は、県下でも有数の二毛作田地帯である。水稲とイグサ栽培との組合せは有名であるが、用水不足地域が広く分布し、また八代海に臨んでいる干拓地では海面下の低湿地帯が多くみられるため、単位収量的には両作物ともに県下最低の地位にある。また、昭和40年代末からの米の減反政策の実施、イグサ乾燥燃料の高騰などが土地利用に変化をもたらしてきており、海岸部干拓地はプリンスメロン、トマト、キュウリの施設園芸栽培に利用されている。

[山口守人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八代平野」の意味・わかりやすい解説

八代平野
やつしろへいや

熊本県南部,八代海にのぞむ低平な沖積平野。中心都市は八代市。球磨川,氷川,砂川,大野川などの堆積作用と干拓により形成された平野で,面積約 230km2のおよそ3分の2は,加藤清正の造成以来,現在までに干拓されたもの。広大な水田では冬季の温暖な気候を利用して施設による園芸農業が発達し,トマト,キュウリ,スイカ,イチゴ,メロンなどを産する。イグサ栽培も盛んで,肥後表の加工は農家の重要な副業になっている。 1967年北部に完成した不知火干拓地では,大型機械農業を導入し,共同作業による米,ムギの生産が行われている。

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世界大百科事典(旧版)内の八代平野の言及

【熊本[県]】より

…【坂本 一登】
[九州中央部の自然]
 西南日本を内・外帯に分ける中央構造線の臼杵(うすき)‐八代構造線が,県の中央を東西に走っている。この線の北側つまり内帯には,東部に阿蘇山,北部に筑肥(ちくひ)山地が横たわり,北西部に東,北,南の山地から流れる菊池川,白川,緑川,球磨(くま)川などの河川が,有明海沿岸に菊池(玉名)平野,熊本平野八代平野を形成し,菊池川中流域に菊鹿盆地が開けている。またこの構造線の南側つまり外帯にあたる地域は九州山地で,V字状の渓谷と険しい山々がそびえ,球磨川中流に人吉盆地を抱いている。…

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