翻訳|melon
明治初年(一八六八)に露地メロンが輸入され、明治一八年には温室メロンも輸入種子による栽培が始められた。
ウリ科の一年草で,近年その栽培・消費の増加が著しい果菜。日本ではCucumis melo L.に属する3変種の欧米系メロン,およびそれら相互あるいはマクワウリとの交雑品種をさす。3変種とは(1)網メロンC.melo L.var.reticulatus Naud.(英名netted melon),(2)カンタループC.melo L.var.cantalupensis Naud.(英名cantaloupe),(3)冬メロンC.melo L.var.inodorus Naud.(英名winter melon)である。また,マスクメロンmuskmelonは芳香(麝香(じやこう))の強い網メロンあるいはカンタループをさす。北アフリカ,近東の原産で,熱帯から温帯に広く栽培される。
茎はつる性で粗毛がある。浅く5裂した葉を互生するが,その形状,大きさは品種や変種により差異がある。花は同株上に雌花と雄花をつけるのがふつうであるが,雄花と両性花をつけるものもある。果形は球形から長球形。網メロンでは果面にコルク化した網状のネットを作る。カンタループでは果実に縦溝があり,冬メロンの果面は平滑なものが多い。果肉は白,緑,赤色に分けられる。
メロンは古代エジプト,ギリシア・ローマ時代にすでに栽培されていたが,あまり発達しなかった。ルネサンス以降,近東諸国やエジプトから導入された網メロンとカンタループは,南欧で品種が発達し,各国に伝播(でんぱ)した。イギリスへは16世紀に南欧から導入されたが,冷涼多雨のため露地栽培ができず,網メロンの品種改良によって,温室内の特殊環境条件に適したイギリス系メロンが育成された。これによって露地メロンに対する温室メロンの栽培法が確立し,北欧にもその栽培が広まった。冬メロンは主として南欧に土着し,栽培が行われた。アメリカへは16世紀初めにヨーロッパから各種のものが導入されたが,その栽培が産業的に確立し,大きな発展をみたのは19世紀末からである。これには導入育種から育成された網メロンのロッキーフォードや,冬メロンのハネデューが大きく貢献している。とくにカリフォルニア州は低温で適温の長いことが露地栽培に適し,一大産地となっている。日本へは明治初年アメリカから露地メロンが導入されたが,多湿な気候に適応できず,わずかに夏乾燥する東北,北海道で栽培されたにすぎない。第2次世界大戦後は,マクワウリとカンタループや網メロンとの変種間の交雑育種が行われ,その結果育成された品種は1960年代中ごろから全国各地に広まり,メロン消費の高まりもあって,マクワウリに代わって急速に露地における生産を伸ばしている。また,冬メロンは秋田,山形の砂丘地で栽培されていたが,戦後は岡山県下のブドウ温室の間作などにもとり入れられている。一方,温室メロンは,20世紀初頭に新宿御苑や農林省農事試験場園芸部でヨーロッパから導入された網メロンの温室栽培が成功したことに端を発し,東京近郊を中心に発達した。昭和に入ると静岡県浜松地方を中心に生産が増加し,第2次世界大戦後は生産施設の発達と生活の向上につれてさらに増加している。
露地メロンは明治以降多くの品種が導入されたが,第2次大戦前はハネデュー,スパイシー,ロッキーフォードなどのアメリカからの導入品種がわずかに栽培されたにすぎなかった。戦後はカンタループと網メロンとの一代雑種である夕張キング,ライフなどが育成され,北海道,東北の砂丘地帯で栽培されている。とくに1962年プリンスメロンの作出されたことが一大転機となって,現在までに数多くの一代雑種(F1)品種が発表されている。プリンスメロンは南欧系露地メロンとマクワウリの一代雑種で,作りやすく着果が安定している。果実は甘みが強く,メロン的肉質で香りもある。全国的に広く栽培され,現在露地メロンの代表的な品種となっている。このほか,主要な品種としてはアムス,アンデス,キンショウなどがある。主産地は熊本県,茨城県,北海道である。温室メロン用品種の主流はイギリス系網メロンで,その代表的なものとして1925年に導入されたアールスフェボリットがあげられる。その後,これら導入品種をもとに,系統分離や交雑育成によって日本の四季に適した各種の品種が育成されている。温室メロンの主産地は静岡,愛知,高知の各県で,栽培面積は全体の80%以上を占めている。
メロンは病害や低温多湿に弱いため,日本では各種の施設を用いて入念な栽培管理が行われる。イギリス系網メロンを主とする温室メロンは大部分ガラス室栽培で,一部ビニルハウスも利用されている。その他の露地メロンも保温と降雨による多湿を避けるため,ビニルトンネルを利用するのが主体となっており,ビニルハウス栽培も行われている。栽培容易な作型は春作で,3月下旬播種(はしゆ),4月下旬~5月上旬定植,7月上~下旬収穫で,採果は開花後40~60日。ビニルは収穫期まで被覆しておく。
メロンの甘味成分はおもにブドウ糖で果実の芳香はセバシン酸エチルによる。果実は生食用が主だが,ほかにアイスクリーム,シャーベット,ジュースにも利用される。幼果は酒かすその他調味料で加工し,いわゆるメロン漬にする。
執筆者:金目 武男
アメリカの実業家。富裕な銀行家T.メロンの子としてペンシルベニア州に生まれ,長じてのち1886年父親の銀行を引き継ぎ,大きく発展させた。ついで,のちにALCOA(アルコア)の名で知られる企業に出資しアルミニウム産業を支配,さらに石油,鉄鋼,石炭,電機などの産業にも進出し,モルガン,ロックフェラーと並ぶメロン財閥を築き上げた。のち政界においても活躍し,長年にわたり財務長官(1921-32)や駐英大使の要職を務めた。美術に対する理解も深く,1937年には当時の金額で1500万ドル相当の美術品,およびこれらの作品を収蔵展示する美術館(ワシントン・ナショナル・ギャラリー。1941開館)を国に寄贈した。
執筆者:小林 袈裟治
アメリカの巨大財閥の一つであるメロン財閥の創始者。北アイルランドに生まれ,5歳のとき,家族とともにアメリカに移住。貧窮のなか大学で修得した法律の知識をいかして不動産売買業を始め,しだいに富を築いていった。1859年から10年間,判事を務めたが,退任後は事業に専念,70年には,後のメロン財閥の母体である私立銀行メロン父子商会を設立し,息子アンドルー,リチャードとともに経営にあたった。開業まもなく73年の恐慌に見舞われたが,恐慌中に倒産した企業や個人の抵当不動産取得により,ますます資産を増加させた。85年に第一線を退いた後は,アンドルーがその後を襲い,同商会およびメロン家の中心人物となった。
執筆者:日高 千景
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ウリ科(APG分類:ウリ科)の一年生つる草。アフリカのギニア地方原産で、日本には明治初期にアメリカから初めて伝来し、また明治後期にヨーロッパから導入した温室メロンが普及定着した。メロンにはカンタループ系、フユ(冬)メロン系、アミ(網)メロン系の3系統がある。なお、アミメロン系とカンタループ系のメロンは香りが優れるので麝香(じゃこう)(musk)にちなんでマスクメロンとよばれる。日本ではメロンといえば、従来温室栽培のアミメロンのことであった。アミメロンは多湿な日本の気候のもとでは栽培が困難であったため、ガラス温室内で手をかけて栽培された。そのため高価であり、その気品のある味とともに最高級の果物として扱われ、初めは貴族の趣味園芸の栽培であったが、大正年代から市場出荷もされるようになった。代表的品種はアールス・フェボリットで、今日の日本の温室栽培用アミメロンの基幹品種で、日本における高級果物メロンのイメージのもとになった。温室メロンの主産地は静岡、愛知両県で、ほかに高知、千葉県も出荷量が多い。
第二次世界大戦後、アミメロンとフユメロンおよび近縁のマクワウリを人工交配して、病気や湿気に強く栽培しやすい改良品種がつくられ、露地栽培用メロンが広く普及した。これがいわゆる露地メロンである。露地メロンは大別してマクワウリの血を引くものと引かないものとに分けるが、前者の代表品種はプリンスメロン(1962育成)である。果表に網状の模様はないが、病気に強く豊産で、在来のマクワウリに比べて味が優れているため広く普及した。後者の露地メロンは、外観、品質ともアミメロンに似た品種が多くあり、それらはアミメロンの大衆化に効果をもたらした。
日本におけるメロンの生産量は6950ヘクタール、15万8200トン(2016)で、主産地は茨城、熊本両県と北海道である。ほかに山形・青森・愛知・静岡・千葉県も出荷量が多い。
[星川清親 2020年2月17日]
メロンはマクワウリvar. makuwa Makinoとシロウリvar. utilissimus (Roxb.) Duthie et Fuller(var. conomon Makino)の2変種を含み、これら3種の間は互いによく交雑する。メロンはアフリカのニジェール川沿いのギニアが起源地で、その野生型が自生するが、インドに第二次中心地があり、ここでメロンからマクワウリとシロウリが分化したと推定される。メロン類の作物化は比較的遅かったが、急速に全世界に伝播(でんぱ)し、さまざまに分化して重要な作物となった。まず古代にエジプト、中央アジア、アフガニスタン、中国に伝播した。古代エジプトで発達したメロンは、14~16世紀にヨーロッパで栽培が盛んになり、カンタループ、フユメロン、アミメロンが成立し、アミメロンはイギリスで温室メロンとして発達した。アメリカには16世紀にアミメロンが入り、露地メロンとして発達した。
インドにおいて成立したマクワウリは紀元前から中国中央部および東部、朝鮮半島、日本などに伝播し、中国では多くの品種ができた。日本への伝来は古く、重要な作物であったが、現在はメロンとマクワウリの雑種から育成された品種に占められ、マクワウリの栽培はきわめて少なくなった。シロウリはインドでメロン類から分化したもので、東南アジアに伝播し、6~7世紀に中国から日本に伝来した。果実が成熟しても糖を形成しない。
[田中正武 2020年2月17日]
特有の芳香をもち、多汁で上品な甘味をもつが、これらの持ち味を出すには摘果後、追熟する。これにより、細胞中のプロトペクチンは分解して果肉は柔らかくなり、香りも出てくる。食べごろは花落ちの部分が柔らかくなったころ。主として冷やして生食するが、アイスクリーム、シャーベット、ジュースなどにも利用される。
[河野友美 2020年2月17日]
『農山漁村文化協会編・刊『野菜園芸大百科4 メロン』第2版(2004)』
アメリカの実業家。メロン財閥を確立。ペンシルベニア州でアイルランド移民の子に生まれる。大学卒業とともに父親トーマスの設立した銀行に入り、1886年その事業を引き継いだ。88年、のちにアルコアの略称で知られる企業に出資、アルミニウム工業に進出するが、それで得た高利潤を背景に、石油、鉄鋼、石炭、電機、食品などの産業に支配力を及ぼし、モルガン、ロックフェラーに匹敵する財閥を築き上げた。21年メロン・ナショナル・バンク頭取から財務長官に就任、以来3代にわたる大統領の下でその職を務め、ついで駐英大使(1932~33)に任ぜられた。死去の直前、収集した美術品をワシントン・ナショナル・ギャラリーに寄贈した。
[小林袈裟治]
『小原敬士著『アメリカの財閥』(1954・東洋経済新報社)』
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…ロンドンではウィリアム・ボーラーという帽子屋の名にちなんで,ボーラーBowlerと呼んだ。アメリカでは19世紀半ば,ダービーderbyと名づけられ,フランスではメロンmelonと称した。ロンドン,パリ,ニューヨークの紳士たちに愛用され,19世紀末に黒が一般の礼装用となって今日まで続いている。…
…銀行資本と産業資本の高度の結合を実現していること,政治権力との結びつきがとくに強いことなどに,この財閥の特徴がある。アイルランド移民T.メロンが,南北戦争前後,鉄,石炭の中心地として急速に膨張していたピッツバーグで金融・不動産売買業を始め,1870年私立銀行メロン父子商会T.Mellon and Sonsを設立して,メロン財閥の基礎を築いた。父子協力のもと,その資産を着実に増やすとともに,89年に設立したユニオン・トラスト社を通じて,ピッツバーグおよび西部ペンシルベニアの諸銀行を支配した。…
…銀行資本と産業資本の高度の結合を実現していること,政治権力との結びつきがとくに強いことなどに,この財閥の特徴がある。アイルランド移民T.メロンが,南北戦争前後,鉄,石炭の中心地として急速に膨張していたピッツバーグで金融・不動産売買業を始め,1870年私立銀行メロン父子商会T.Mellon and Sonsを設立して,メロン財閥の基礎を築いた。父子協力のもと,その資産を着実に増やすとともに,89年に設立したユニオン・トラスト社を通じて,ピッツバーグおよび西部ペンシルベニアの諸銀行を支配した。…
…ロンドンではウィリアム・ボーラーという帽子屋の名にちなんで,ボーラーBowlerと呼んだ。アメリカでは19世紀半ば,ダービーderbyと名づけられ,フランスではメロンmelonと称した。ロンドン,パリ,ニューヨークの紳士たちに愛用され,19世紀末に黒が一般の礼装用となって今日まで続いている。…
…ウリは広義にはウリ科に属する栽培植物(ウリ類)やその果実の総称であるが,狭義にはマクワウリ(イラスト),メロン(イラスト),シロウリ,キュウリ(イラスト)などを含むキュウリ属の果実を指す。ウリ類の果実は,多肉・多汁な果肉を有するものが多いので,食用としての利用価値が高い。…
※「メロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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