出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
香川県中部,備讃瀬戸に面する工業港湾都市。1942年市制。人口5万5621(2010)。近世初頭に播州赤穂から移住した人々により塩田が開かれてから塩の町として発展してきた。1971年坂出塩田は廃止されたが,1964年から始まった番の州の埋立てにより,造船やアルミニウム建材加工工場が立地し,また石油化学コンビナートが出現,県下最大の工業基地となった。JR予讃線が東西に横切る。1988年には瀬戸大橋が開通し,現在は高松自動車道の坂出ジャンクションから坂出支線で接続している。東隣の高松市にまたがる五色台(国分台。479m)の坂出側には四国八十八ヵ所81番札所白峰寺と崇徳上皇の白峰陵がある。南部には城山(きやま)(462m)があり,県下最初のゴルフ場と城山城跡がある。南西端にある飯野山(422m)は讃岐富士とも称される美しい形のビュート(孤立丘)で,以上三つとも溶岩台地である。港の南西方の聖通寺山(117m)は瀬戸大橋の接続地で,番の州の眺望がよい。
執筆者:坂口 良昭
周辺には多くの古墳,古代の山城遺跡,条里制遺構があり,古くから開かれた地域であった。地名の初出は戦国末らしいが,確認できるのは1637年(寛永14)で,村高は490石余であった。塩田は67年(寛文7)には戸数120軒であった。高松藩の川口番所が1732年(享保17)に置かれ,またこのころ塩田拡張によって集落もふえ,物資の集散地としての役割も果たすようになった。文政年間(1818-30)には久米栄左衛門によって東大浜,西大浜の塩田が完成し,日本の代表的な塩田となった。1873年の人口は5162人。
執筆者:木原 溥幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…667年(天智6)には,唐・新羅の侵攻にそなえ大和国高安城,対馬国金田城とともに讃岐国に屋島城がもうけられた。律令制下の国府は阿野郡におかれ(現,坂出(さかいで)市府中町)大内,寒川,三木,山田,香川,阿野,鵜足,那珂(なか),多度,三野(みの),刈田(かりた)(のちに豊田(とよた))の11郡を管し,国分寺がその東(現,綾歌郡国分寺町)に建立された。条里制の遺構は現坂出市の綾川流域や丸亀平野に顕著にみとめられ,現在大川郡志度町の多和(たわ)文庫にある735年(天平7)弘福寺(ぐふくじ)領〈讃岐国山田郡田図〉は日本最古の方格地割図として名高い。…
※「坂出」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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