安慧(読み)あんね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安慧」の意味・わかりやすい解説

安慧
あんね
(510―570ころ)

インド大乗仏教瑜伽行(ゆがぎょう)派の学僧。サンスクリット名はスティラマティSthiramati。西インドのバラビー地方(現、グジャラート州内)において、同地のグハセーナGuhasena王(在位558~566)の時代に活躍した。先輩(あるいは師)の徳慧(とくえ)(グナマティGuamati)と並び称される。玄奘(げんじょう)の『大唐西域記』には堅慧(けんね)と記されている。世親(せしん)の『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』ほか多くの論典の註釈(ちゅうしゃく)を書いた。現存するものは漢訳に『阿毘達磨雑集論(あびだつまぞうしゅうろん)』『大乗廣五蘊論(だいじょうこうごうんろん)』『大乗中観釈論(ちゅうがんしゃくろん)』『倶舎論実義疏(くしゃろんじつぎそ)』(断簡)、梵(ぼん)本(およびチベット訳)に『三十頌釈』『中辺分別論釈疏(ちゅうへんふんべつろんしゃくそ)』があり、そのほかチベット訳に『荘厳経論註疏(しょうごんきょうろんちゅうそ)』などがある。また『成唯識論(じょうゆいしきろん)』にはその学説(識の一分説)などが紹介されている。

高崎直道 2016年11月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「安慧」の意味・わかりやすい解説

安慧 (あんね)
生没年:470?-550?

インドの大乗仏教の学僧。一説に510-570年ころの人ともいう。瑜伽行唯識派(ゆがぎようゆいしきは)の所属で十大論師の一人。サンスクリット名はスティラマティSthiramati。西インドのカーティアーワール半島にあるワラビーValabhīに生まれ,徳慧(とくえ)の教えをうけた。安慧の学説は,〈無相唯識〉といわれ,同時代に活躍した護法(ダルマパーラDharmapālaの学説〈有相唯識(うそうゆいしき)〉と区別される。その特色は,すべての心作用を根底から規定している潜在意識,すなわちアーラヤ識は究極的には否定され,見るものと見られるものの区別を失った絶対知が得られる。その時,個体には最高実在だけがあり,アーラヤ識はない,とするものである。《唯識三十頌釈論》《大乗荘厳経論釈》《中辺分別論釈》《大乗広五蘊論》など唯識説関係の諸注釈のほか,《大乗中観釈論》や《俱舎論実義疏》などの中観派や小乗仏教の論書に対する幅広い研究も残している。
唯識説
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安慧」の解説

安慧 あんえ

795-868 平安時代前期の僧。
延暦(えんりゃく)14年生まれ。下野(しもつけ)(栃木県)大慈寺(小野寺)の広智(こうち)に師事,13歳で比叡(ひえい)山にのぼり,最澄と円仁(えんにん)にまなぶ。承和(じょうわ)11年出羽講師(でわのこうじ),貞観(じょうがん)4年内供奉(ないぐぶ)十禅師,6年天台座主(ざす)4世となる。貞観10年4月3日死去。74歳。河内(かわち)(大阪府)出身。俗姓は大狛(おおこま)。著作に「顕法華義抄」「即身成仏義」など。

安慧 あんね

あんえ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安慧」の意味・わかりやすい解説

安慧
あんね
Sthiramati

[生]470頃
[没]550頃
南インド出身の仏教学者。瑜伽行派に属する。その説は,瑜伽行派の古説に近いものといわれる。著書『唯識三十頌に対する註』『中辺分別論に対する註』『倶舎論実義疏』『大乗中観釈 (ちゅうがんしゃく) 論』。

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百科事典マイペディア 「安慧」の意味・わかりやすい解説

安慧【あんね】

サンスクリット名のスティラマティSthiramatiの漢訳名。南西インドの人で,一説に510年―570年ころの人ともいう。唯識(ゆいしき)十大論師の一人とされる。その学説は無相唯識といわれ,《唯識三十頌釈論》《大乗荘厳経論釈》などの注釈が残されている。

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