小野道風(おののとうふう)(読み)おののとうふう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

小野道風(おののとうふう)
おののとうふう
(894―966)

平安中期の能書家。藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり)とともに三蹟(さんせき)とよばれ、平安初期の三筆と並び称される。遣隋使(けんずいし)小野妹子(いもこ)をはじめ、篁(たかむら)、恒柯(つねえだ)(808―860)ら文化人を輩出した家系に、葛絃(くずお)の子として生まれた。その伝歴はかならずしもつまびらかでないが、諸記録を点綴(てんてい)すると、右衛門少尉(えもんしょうじょう)、少内記(しょうないき)、内蔵権助(くらのごんすけ)、右衛門佐(すけ)、木工頭(もくのかみ)という官途をたどり、康保(こうほう)3年73歳で没したときには正四位下・内蔵頭(くらのかみ)であったことがわかる。村上(むらかみ)、朱雀(すざく)両天皇の大嘗会(だいじょうえ)に悠紀主基屏風(ゆきすきびょうぶ)の色紙形(しきしがた)を清書したのをはじめ、願文(がんもん)や門額の揮毫(きごう)など、当代随一の能書として目覚ましい活躍を遂げた。その書風前代に引き続いて中国の王羲之(おうぎし)の書法を根底としたものであったが、豊麗で柔軟な筆法は、『源氏物語』の「絵合(えあわせ)」に「今めかしう」と評されるように、独自の新様式を加味したものであった。後続の佐理、行成を経て完成された、いわゆる和様の書の基礎を築いた功績は大きい。道風の筆跡は在世中から愛好されたが、後世、野跡(やせき)とよばれてますます尊重されるようになった。『智証大師諡号勅書(ちしょうだいししごうちょくしょ)』(東京国立博物館、国宝)、『屏風土代(びょうぶどだい)』(国宝)『玉泉帖(ぎょくせんじょう)』(ともに御物)、『三体白氏詩巻』(正木美術館、国宝)、『秋萩帖(あきはぎじょう)』(東京国立博物館、国宝)などが遺墨として伝存する。

[松原 茂]

『小松茂美著『平安朝伝来の白氏文集と三蹟の研究』(1965・墨水書房)』


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