後藤慶二(読み)ごとうけいじ

改訂新版 世界大百科事典 「後藤慶二」の意味・わかりやすい解説

後藤慶二 (ごとうけいじ)
生没年:1883-1919(明治16-大正8)

建築家東京に生まれる。1909年東京帝国大学工科大学建築学科卒業。以後司法省裁判所監獄等を設計する。文人的素養と建築家的資質がよく結びつき,明治以降顕著であった西洋建築の模倣移植という技術的な建築理論を超えて,自己の内面的な価値を表現する創作理論を初めて切り開いた。作品には豊多摩監獄(1915)があり,そのこまやかな情感は大正建築を代表する。著作に《日本劇場建築史》(1925)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後藤慶二」の意味・わかりやすい解説

後藤慶二
ごとうけいじ

[生]1883. 東京
[没]1919. 東京
建築家。 1909年東京帝国大学工科大学建築学科卒業。司法省に入り,東京中野の豊多摩監獄を設計 (1915年完成) した。その作品には,イギリスで J.ラスキンらが唱えた中世主義の影響が色濃く,当時の建築界のクラシカル作風とは一線を画しており,村野藤吾今井兼次らに強い影響を与えたが夭折した。おもな作品に明治神宮宝物殿コンペ案 (三等一席) (15) ,東京区裁判所 (19) などがある。劇場史研究でも知られ,著書に『日本劇場建築史』 (25) がある。

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朝日日本歴史人物事典 「後藤慶二」の解説

後藤慶二

没年:大正8.2.3(1919)
生年:明治16.10.29(1883)
明治大正期の建築家。東京生まれ。明治42(1909)年に東京大学を卒業し,司法省営繕課へ入省,東京中野の豊多摩刑務所の設計および現場監督に従事する。この仕事を契機に,構造上の研究にも手を染め,構造学の優れた論文を発表。また,デザイン上でも卓越した能力を持つレオナルド的才人であった。夭折のため寡作であるが,ドイツのユーゲントスティールを髣髴させる作風で,東京区裁判所をはじめ,いくつかの住宅作品を残した。雑誌への寄稿も多く,建築論者としての先駆的役割を果たした。『日本劇場史』(1925)の著書もある。<参考文献>『後藤慶二氏遺稿』(私家版)

(大川三雄)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤慶二」の解説

後藤慶二 ごとう-けいじ

1883-1919 明治-大正時代の建築家。
明治16年10月29日生まれ。司法省にはいり,東京中野の豊多摩刑務所などを設計。のち早大講師もつとめ,中村鎮(ちん),村野藤吾(とうご)らをおしえる。構造研究,デザインの両面にすぐれた。大正8年2月3日死去。37歳。東京出身。東京帝大卒。

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