悪心・嘔吐

内科学 第10版 「悪心・嘔吐」の解説

悪心・嘔吐(症候学)

概念
 悪心(nausea)は心窩部や前胸部のムカムカとした不快感で,吐き気を指す主観的な症状である.悪心に随伴して流涎 (生唾),冷汗,顔面蒼白,血圧の低下や徐脈などがみられることが多い.嘔吐(vomiting)は胃や腸管や胸腹壁筋の収縮により上部消化管内容物が口腔外へ吐き出されることである.
病態生理
 嘔吐は脳幹部の孤束核,迷走神経背側核,疑核,横隔神経核,延髄核などと関連し,咽頭,喉頭,食道,胃,腸,胸腹壁筋の神経筋反射が関与する.悪心・嘔吐を引き起こす(催吐)中枢への刺激には解剖学的にさまざまなものがある(図2-5-1).嫌な臭いなどで誘発される悪心・嘔吐は大脳皮質から生じる.乗物酔いや内耳障害は迷路,胃の刺激物は求心性迷走神経,腸の閉塞や虚血は求心性内臓神経を介し中枢へと伝えられる.そのほかに嘔吐の原因としては抗癌薬などの催吐物質,細菌毒素や尿毒症あるいは代謝・電解質異常などがある.血液中の催吐物質は延髄の最後野にある化学受容体引金帯 (chemoreceptor trigger zone:CTZ)に作用し嘔吐を誘発する.これらの経路の神経伝達物質は解剖学的に規定されている.迷路からの刺激は前庭のコリン作動性ムスカリンM1受容体やヒスタミン作動性H1受容体を介して伝達される.また求心性迷走神経からの刺激はセロトニン5-HT3受容体を活性化する.最後野のCTZには5-HT3,M1,H1,ドパミンD2などの受容体が存在する.これらの受容体は制吐薬の標的作用点となっており,適切な薬物の選択に重要である.
 さまざまな経路からの催吐刺激後,嘔吐反射が引き起こされる.胸腹壁筋の収縮により胸腔,腹腔内圧が上昇し,喉頭は上方に移動し,胃や腸の正常な肛門側への徐波収縮は,逆行性の棘波となり上部消化管の内容物が吐出される.顔面蒼白,よだれ,冷汗などの自律神経症状は嘔吐に関連する神経核と自律神経中枢が近接した位置にあるためとされている.
鑑別診断
 嘔吐の鑑別診断には,①病歴,②摂食後から嘔吐までの時間,③吐物の内容(消化の程度,血液や胆汁混入の有無,腐敗臭や糞便臭などの臭い)などに注意する.薬物や毒物は急性嘔吐の原因となる.著明な体重減少は悪性疾患や腸閉塞が考えられる.発熱は炎症性疾患を示唆し,頭痛や視野異常は頭蓋内疾患を疑うべきである.めまいや耳鳴りは迷路障害を示す.食後1時間以内の嘔吐は幽門狭窄を示唆し,それ以後の悪心・嘔吐は小腸以下の閉塞でみられることが多い.血液の混入は潰瘍や悪性腫瘍が,胆汁の混入は十二指腸乳頭より遠位の障害が,糞便臭の吐物は下部腸閉塞が疑われる.腸閉塞の場合は嘔吐後腹痛が軽減するが,膵炎や胆囊炎では明らかな嘔吐と疼痛の関連がみられないことが多い. 身体所見は悪心・嘔吐の原因を推定するうえで重要である.腸閉塞では麻痺性の場合は腸雑音が消失し,逆に機械性の場合は亢進し,金属音などの特徴的な腸雑音が聴取される.一般的に腹部は膨隆し,やせた患者では拡張した腸管を触れることがある.側臥位にしたときに上腹部に連続した水の反跳音が聞こえれば幽門狭窄や胃不全麻痺が疑われる.圧痛や筋性防御があれば炎症の可能性がある.ほとんどの嘔吐には悪心が先行するが,脳血管障害の場合には悪心を伴わず突然の嘔吐がみられることが多い.また,この場合は意識障害や麻痺などの神経学的異常を伴う. 次に診断に必要な検査を実施する.血液検査にて白血球増加,CRP陽性などは感染を示唆し,貧血は消化管出血や悪性腫瘍を疑う.電解質異常は基礎疾患が原因か嘔吐による二次的なものか鑑別が必要だが,治療は輸液による補正を行う.肝機能異常は肝炎や胆道系の障害を,膵酵素の上昇は膵の異常を示す.血糖の測定も必要である.腸管の閉塞では立位と臥位の腹部単純X線写真で,貯留した内容物やガスにより拡張した腸管がみられ,立位写真ではニボー(液面形成像)を認める.拡張した消化管の状態を観察することによって幽門,小腸,大腸の閉塞部位の推定にも有用である.その他,消化管内視鏡検査,超音波検査,CT,MRIなど必要に応じて検査を選択する.
 抗癌薬による悪心・嘔吐は高頻度に出現する.抗癌薬投与後24時間以内に出現する急性嘔吐,投与後2~4日後に生じる遅発性嘔吐,抗癌薬投与前に出現する予測性嘔吐の3つのタイプがある.上部消化管から迷走神経を介する経路とCTZへの直接の作用経路とが関与している.予測性嘔吐は大脳皮質が関係している.嘔吐を誘発する作用の強いシスプラチンなどの投与によって生じる急性嘔吐ではセロトニン-5-HT3受容体経路が関与しているが,遅発性嘔吐には同受容体の関与は乏しい.遅発性嘔吐にはサブスタンスP-ニューロキニン1受容体経路が重要である.嘔吐に関連する受容体阻害薬や消化管運動促進薬など,作用点を考慮したさまざまな制吐薬が開発されており,治療薬の選択には悪心・嘔吐の刺激伝達経路を知っておく必要がある.また悪心・嘔吐の治療にあたっては原因の鑑別と原因疾患の治療が最も重要である(表2-5-1).[兵頭一之介]

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