横山町(読み)よこやまちよう

日本歴史地名大系 「横山町」の解説

横山町
よこやまちよう

[現在地名]前橋市千代田町ちよだまち二丁目・同四丁目

近世の町人町横町を明治六年(一八七三)横山町と改称えのき町の西に続く東西の通筋。南は紺屋こんや町・くわ町、西はたつ町、北は立川たてかわ町。元文四年(一七三九)の竪町検地帳(古屋文書)末尾に「下ノ町分 五町拾五歩高」のうち高三〇石六斗一升八合・一町九反三畝八歩が横町であると記され、貞享元年(一六八四)の「前橋風土記」に記される下之しもの町に含まれたことがわかる。明和八年(一七七一)一月一二日の大火により総家数四六軒はすべて類焼、その竈数五〇で、土蔵四・御家人一も焼けた(松平藩日記)。安永九年(一七八〇)一一月一六日の火災では総家数四五軒のうち焼失四二軒で、その内訳は家主三三・店借九であった(同日記)

横山町
よこやまちよう

[現在地名]金沢市横山町・材木町ざいもくちよう

明治二年(一八六九)藩士横山家の旧上屋敷地および下屋敷地跡に町立てされた。町名も同家にちなむ。北の一番丁から南の三番丁まで三町に分れ、北は備中びつちゆう町、西は材木町、南は越中えつちゆう町、東は浅野川上川除あさのがわかみかわよけ町。横山家は加賀藩八家の一で、禄高は代により二万四千石から三万二千五〇〇石。上屋敷は当初金沢城内にあったが、のち現兼六園の地に移り、元禄九年(一六九六)当地に移転した(加能郷土辞彙)

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百科事典マイペディア 「横山町」の意味・わかりやすい解説

横山町【よこやまちょう】

東京都中央区北部にある日本橋横山町の通称江戸時代から奥州道中沿いに発達した問屋街。洋品雑貨問屋が集まる。周辺の堀留町,小伝馬町大伝馬町久松町富沢町などにも繊維関係の問屋が多い。
→関連項目中央[区]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「横山町」の意味・わかりやすい解説

横山町
よこやまちょう

東京都中央区北端の地区で、正しくは日本橋横山町。『小田原衆所領役帳』に横山がある。江戸時代前期は諸藩米蔵があり、また行徳(ぎょうとく)からの塩舟が着いて、塩町の名でにぎわい、奥州街道に沿う商人町でもあった。現在は、都内をはじめ全国に販路をもつ洋服、呉服衣類、洋品雑貨、小間物学用品などの卸問屋街を形成する商業地域となっている。

[菊池万雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横山町」の意味・わかりやすい解説

横山町
よこやまちょう

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