神戸町(読み)ごうどちよう

日本歴史地名大系 「神戸町」の解説

神戸町
ごうどちよう

[現在地名]保土ヶ谷区神戸町・岩崎いわさき町・藤塚ふじづか町・法泉ほうせん一―三丁目・霞台かすみだいさくらおか月見台つきみだい初音はつねおか

東は帷子かたびら町、西は保土ヶ谷町、南は保土ヶ谷町・岩間いわま町、北は下星川しもほしかわ村・仏向ぶつこう村に接する。保土ヶ谷宿組四ヵ町の一つ。南東に東海道が通り、上岩間かみいわま町から上神戸かみごうど町に入り、帷子上かたびらかみ町を経て下神戸町に入り帷子田かたびらた町へと続く。帷子町との境を帷子川が流れる。

近世を通じて幕府直轄領。元禄八年(一六九五)九月の検地帳(保土ヶ谷区郷土史)では、田一四町六反余、畑屋敷三〇町一反余、ほかに居山二二町九反余、芝山三二町六反余がある。明和四年(一七六七)閏九月の新田検地帳(同書)では下々畑一畝余、高三升余を検出。安永二年(一七七三)一〇月・弘化二年(一八四五)九月の新田検地帳(同書)がある。享保六年(一七二一)三月の村明細帳(同書)によると、用水は坂本さかもと村と上星川村との境で帷子川に堰を設け、当町と仏向村・下星川村三ヵ村組合で水を引き、田八町八反余に掛かり、残り五町八反余は天水場である。

神戸町
ごうどちよう

面積:一八・五四平方キロ

濃尾平野の北西端部、町域の大部分揖斐いび川右岸に位置し、大垣市の成立によって安八郡四ヵ町のうちの南部三ヵ町と分離している。北から東は揖斐郡大野おおの町・本巣もとす巣南すなみ町、南は大垣市、西は揖斐郡池田いけだ町に接する。町域中央部のやや西を近鉄養老線が南北に走り、広神戸ひろごうど駅の東、日吉神社の南の門前に市街を形成しているが、全体的には肥沃な平坦地である。古代安八郡の郡領安八大夫安次の開発した地とも伝え、不破ふわ(現不破郡垂井町)から大野駅に至る東山道が通っていたと考えられる。

神戸町
ごうどまち

[現在地名]熱田区神戸町

熱田神宮の南にある。神戸は元来、熱田社の神戸(じんこ・かんべ)の謂であろう。猿投神社本「本朝文粋」巻二紙背文書に「神戸郷内中勢住人駒入道家」「御敷地神戸郷内三丁畠」「神戸内横田壱色正住名壱段大」「神戸郷内今村禅祐房琳慶跡、祖父祝師頼仲伝領正住名畠壱段大」とみえている。これらの文書は永仁六年(一二九八)から嘉元元年(一三〇三)頃のものである。江戸時代以降の神戸町は熱田社の南の一画にすぎないが、中世には中勢なかぜ(現中瀬町)横田よこた(現横田町か)今村いまむら(のちの今宿、現神戸町)などを含んだ広い地域をいったようである。

神戸町
ごうどまち

[現在地名]長浜市元浜町もとはまちよう

東本ひがしほん町の東端から北に延びる南北通りの両側町で、中央部で大手町おおてちよう通と直交する。東の町裏はよね川となる。朱印地。慶安四年(一六五一)の検地帳(富田文書)に屋敷地四三があげられ、うち明屋敷一。元禄八年大洞弁天寄進帳では家数三四(借家二)、男八二・女七三で、町代・横目が置かれ、酒屋四・医者二・油屋・魚屋・伏見屋・木綿屋・糀屋・塗師屋米屋古手屋・納屋・四十物屋・紺屋・肴屋・醤油屋・鍋屋・桶屋がおり、貸家六がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神戸町」の意味・わかりやすい解説

神戸〔町〕
ごうど

岐阜県南西部,大垣市の北隣にある町。 1892年町制。 1954年下宮村および南平野村の一部と合体。中世には日吉神社の門前町,市場町として発展。揖斐川扇状地の末端に位置し,豊富な地下水を利用した機械工場などが進出。耕地が町域の多くを占め米作のほか,近郊園芸が行われる。近畿日本鉄道養老線が通る。面積 18.78km2。人口 1万8585(2020)。

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