最上川左岸にあり、中世以来山形盆地北部の一中心で、近世にはいくつかの村に分立したが、そのうちの町部の総称とされ、村山郡第二の商業地として栄えた。明治二〇年(一八八七)近世分立していた八村が合併し、再び谷地村を称した。現在はほぼ近世の八村を継承する住居表示に分けられている。その住居表示とそれに含まれる通称は次のものである。
古くは谷後といったとする説もある(「白鳥系図」茂木文書)。天文五年(一五三六)八月一日の願文(熊野那智大社文書)に「出羽国最上谷地」とある。この史料は斎藤牛田左近大夫藤原長実ら谷地の住人一〇名が竹本坊を先達とした熊野参詣に際し、奉納した願文である。同七年二月五日刻銘の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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