金富軾(読み)きんふしょく(英語表記)Kim Pu-sik

精選版 日本国語大辞典 「金富軾」の意味・読み・例文・類語

きん‐ふしょく【金富軾】

朝鮮高麗朝の学者政治家慶州の人。仁宗年間に、僧妙清西京で反すると、元帥となって乱を平定。のち、楽浪郡開国侯に封ぜられる。「仁宗実録」「三国史記」を撰述した。(一〇七五‐一一五一

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「金富軾」の意味・わかりやすい解説

金富軾 (きんふしょく)
Kim Pu-sik
生没年:1075-1151

朝鮮,高麗の政治家,儒学者。現存する朝鮮最古史書三国史記》の編者として知られる。粛宗(1095-1105)のとき,科挙に合格し,仁宗代(1122-46)に宰相となった。1126年に起きた李資謙の乱後,妙清ら西京人は風水地理説に基づいて西京遷都論を唱え,また,女真人が建てた金への侵略を主張したが,これを事大主義の立場から徹底的に批判・攻撃したのが金富軾であった。妙清一派はついに西京で反乱を起こしたが(妙清(みようせい)の乱),これも彼の指揮する官軍によって鎮圧された。金富軾は儒学の正統的な解釈に基づいて中国中心主義・事大主義の立場をとり,また,慶州の名門出身であることから歴史的には新羅を重視する立場をとった。《三国史記》には,彼のこのような立場が反映されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「金富軾」の意味・わかりやすい解説

金富軾
きんふしょく
(1075―1151)

朝鮮、高麗(こうらい)、仁宗(じんそう)(在位1122~46)朝の宰臣。号は雷川(らいせん)、諡(おくりな)は文烈(ぶんれつ)。慶州の人。粛宗(しゅくそう)(在位1095~1105)代に科挙に合格し、睿宗(えいそう)(在位1105~23)・仁宗代に礼部郎中、中書舎人、礼部侍郎、戸部尚書、翰林(かんりん)学士承旨、判兵部事と累進。1135年妖僧(ようそう)妙清(みょうせい)が西京で乱を起こすと元帥となって鎮圧し、功によって門下侍中となる。42年に68歳で官を退いた。王命により『三国史記』を編修し、また睿宗、仁宗の実録を編修。『高麗史』巻98に伝があり、文集は伝わらないが、その詩文は『東文選』などによって知られる。

[田中俊明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金富軾」の意味・わかりやすい解説

金富軾
きんふしょく
Kim Pusik

[生]文宗29(1075)
[没]毅宗5(1151)
朝鮮,高麗の政治家,学者。慶州の人。高麗の第 15代粛宗のとき文科に及第,粛宗,仁宗に仕えて大功を立てた。仁宗の初年,妖僧妙清が図讖説で国王をそそのかして遷都をはかったが,彼は強く反対してその企てを阻止し,さらに妙清が西京 (平壌) で反乱を起したとき王命を受け鎮圧した (→妙清の乱 ) 。また使節として宋におもむき外交面でも功績をあげたが,彼の名を後世に残しているのは退官後,現存する最古の体系的史書『三国史記』を撰進したことにある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の金富軾の言及

【三国史記】より

…朝鮮古代の新羅,高句麗,百済3国に関する歴史書。1145年に金富軾らが編纂した官撰書。全50巻で,新羅本紀(1~12),高句麗本紀(13~22),百済本紀(23~28),年表(29~31),雑志(32~40),列伝(41~50)よりなる。…

【妙清】より

…仁宗はこれに動かされて西京に巡幸し,廷臣のなかにも妙清支持者がふえた。これに対して金富軾(きんふしよく)らは遷都に強く反対し妙清を妖人として排撃した。この状況を見て妙清は1135年西京で反乱を起こし,国を大為と称し,天開と建元したため,仁宗は金富軾に命じて討伐させた。…

※「金富軾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android