ウィーゼ(読み)うぃーぜ(英語表記)Leopold von Wiese

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィーゼ」の意味・わかりやすい解説

ウィーゼ
うぃーぜ
Leopold von Wiese
(1876―1969)

ドイツ社会学者。経済学の研究から出発したが社会学に転じ、ベルリン大学講師を経て1919年ケルン大学教授になり、経済学と社会学を担当するかたわら『ケルン社会学四季報』を編集、ドイツ社会学発展に寄与した。自由主義者のゆえにナチスに追われ、アメリカに亡命したが、第二次世界大戦後西ドイツに帰国し、上記の雑誌を『ケルン社会学雑誌』の名で復刊し、ドイツ社会学会の会長にも就任した。基本的にはジンメル形式社会学立場を継承しながらも、さらにトマスロスの影響も受け、この影響のもとにジンメルの理論の思弁性とあいまい性とを批判し、経験主義的な立場から社会学の理論的な体系化に努力した。そして社会を、社会過程社会関係社会形象(けいしょう)の三つの基本概念を基礎として分析し、関係学としての社会学の体系を樹立した。主著に『社会学 その歴史と主要問題』(1926)、『一般社会学体系』(1933)がある。

[居安 正]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウィーゼ」の意味・わかりやすい解説

ウィーゼ
Leopold von Wiese
生没年:1876-1969

ドイツの代表的な社会学者。1904年ベルリン大学で教授資格取得。09年テンニース,ジンメル,M.ウェーバーらによってドイツ社会学会が設立されたさいにこれに参加,草創期におけるドイツ社会学の基礎を築いた。ハノーファー工科大学教授を経て,14-35年ケルン大学教授。彼が同大学において創始し編集長をつとめた《ケルン社会学四季報》(戦後《ケルン社会学・社会心理学雑誌》と改題)は,現在にいたるまでドイツで最高の権威ある社会学の学術誌として認められている。ナチス治下にアメリカに亡命してハーバード大学客員教授。第2次大戦後ただちに西ドイツに復帰,学界長老としてケルン大学にケーニヒR.König,ショイヒE.Scheuchら経験的社会研究empirische Sozialforschungの人脈を育成した。《一般社会学体系》(第2版,1933)は理論上の主著で,社会学を関係学Beziehungslehreと形象学Gebildelehreに分かち,競争・対立・葛藤などの社会過程や,集団・団体などの社会形象を分析した。ドイツの哲学的伝統に根ざす観念論的傾向に抗して,実証的・経験的な社会学の流れをつくり出した点に最大功績がある。
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百科事典マイペディア 「ウィーゼ」の意味・わかりやすい解説

ウィーゼ

ドイツの社会学者。ジンメルの形式社会学を展開して関係学を提唱した。テンニース,ジンメル,M.ウェーバーらによるドイツ社会学会設立の際これに参加,ドイツ社会学草創期のメンバーの一人。のちナチスの圧迫をのがれて米国に亡命。帰国後,ドイツ社会学会会長などを務めドイツ社会学の再建に努力した。

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世界大百科事典(旧版)内のウィーゼの言及

【社会関係】より

…彼は社会の過程的・機能的側面を重視して,個々の人間関係に現れる心理的作用の様式(心的相互作用seelische Wechselwirkung)を論じた。社会関係の概念を最も重視し,詳細に展開したのはL.ウィーゼである。彼は人間相互の行動様式を分析して,社会関係の結晶体としての社会形象soziales Gebildeを論ずると同時に,社会関係の機能的なものとしての社会過程sozialer Prozessを論じた。…

※「ウィーゼ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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