改訂新版 世界大百科事典 「エスノヒストリー」の意味・わかりやすい解説
エスノヒストリー
ethnohistory
主としてアメリカの文化人類学界で1950年代初頭から使われるようになった用語で,語の組成からは〈民族集団ethnos〉の〈歴史history〉を意味するが,その概念内容は必ずしも厳密ではない。文化人類学が研究の対象としてきた社会(文化)は通常非西洋の,しかも多くの場合伝統的に文字記録をもたなかった,いわゆる無文字社会である。このためこれらの社会は書かれた記録としての歴史をもたない社会,つまり西洋的な意味での歴史が欠如した社会とみなされがちであった。1920年代以降の人類学が文化・社会について,もっぱらその共時態の研究に関心を集中させてきた理由はここにある。エスノヒストリーという用語が概念内容の不明確さにもかかわらず,広範に使用されるようになった背景には,こうした共時態を強調する見方に対する反動として,この語がそれぞれの社会に固有の歴史性を強く喚起したという事情がある。
非西洋・無文字社会の歴史研究としてのエスノヒストリーには,大別して三つの対象があり,それぞれに特有の方法がある。(1)過去の特定の時代の文化・社会構造の再構成,(2)口承史oral historyや外部記録を用いての文化・社会の通時的変化の探究,(3)個別文化が自己の過去と現在の関係をどのように把握しているかという歴史観ないし歴史意識の研究,がそれである。(1)と(2)が客観的歴史事実を探究するのに対し,(3)は主観的な歴史を探る試みである。研究者によっては,(1)は先史学・考古学と区別がつきがたく,また(2)は史料の扱い方こそ異なるとはいえ,一般的な歴史学との概念的区別があいまいだとして,エスノヒストリーの用語を(3)に限って使用すべきだと考える者もいる。論理的にはこの考え方がエスノヒストリーに独自の概念内容を与えるものとして最も評価に値するが,学界の一般的動向としては(1)と(2)の研究が大勢を占めている。伝統的な無文字社会に歴史性を認めるということが,この語がつくられたそもそもの動機であることからすれば,この動向はむしろ自然なものであろう。
考古学資料ならびに外部記録(旅行者,宣教師,植民地行政官による)を手がかりとする研究は,南・北アメリカの古文明およびインディオ・コミュニティについて大いに進んでいる。一方,それまでは神話か伝説にすぎないとみなされがちであった口承史の綿密な比較検証に基づき,そこから客観的な歴史事実を抽出していこうとする試みは,アフリカの特に伝統的な王制を有する社会についてすぐれた成果をあらわしている。前者は質の良い遺跡とドキュメントの集積に助けられたものであり,後者は王制がしばしば伴う語部(かたりべ)という職能的な伝承集団の存在に多くを負っている。これらの手がかりが欠如した社会(例えば集中権力のない山間部族社会)の研究では,エスノヒストリーの語を主観的歴史の意味((3))で用いることが多い。
執筆者:内堀 基光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報