改訂新版 世界大百科事典 「オーバーエスターライヒ」の意味・わかりやすい解説
オーバーエスターライヒ[州]
Oberösterreich
オーストリア北部の州(ラント)。面積1万1979km2,人口137万6797(2001)。ドナウ川の流域地域で,川の北部はボヘミア森林地帯,南部はイン川,クレムス川,エンス川のレス地帯,ならびにザルツカンマーグートSalzkammergutのアルプス前山地帯から成り立っている。ドナウ川が流れる地域は南方に向かってオーストリアの農業地帯がひろがっており,住民の大半は農業を営んでいるが,森林地帯も州の40%に及んでいる。州都のリンツはドナウ川中流に位置している人口20万の重工業の中心地である。ここの鋼鉄製造業は,ツィスタースドルフZistersdorfの油田とならんで,オーストリア産業の根幹である。リンツはドナウ川下りの中間港であり,出発点のパッサウから92km,リンツからウィーンまでは207kmある。この水路はかつて十字軍が通った道であり,またニーベルンゲン伝説の生まれた谷でもある。パッサウからイン川に沿って南にブラウナウBraunauの町があるが,ここにはヒトラーの生家がある。州の南西部には風光明媚な湖水地方ザルツカンマーグートがある。ここはグムンデン湖,アルター湖,トラウン湖その他大小さまざまな湖水が山や森にかこまれてあり,四季を通じて内外より多くの観光客が訪れる。ザルツカンマーグートの名が示すごとく,ここには塩山で有名なハルシュタットHallstattがあり,今でも岩塩が採掘されている。
州住民の大半は,ドナウ川の両岸にひろがる台地の畑作酪農業に従事しているが,高原地方はワイラーWeilerと呼ばれる散居制の小村落が主であり,ドナウ沿岸平野地域の集村と対照的な定住様式を形づくっている。大家族で父権が強く,散居制のところでは集村のような共同体秩序が弱いために,村人の紐帯は教会と学校によって代替されることになる。近年はリンツやベルス,シュタイル市などへ青年層が職を求めて流出し,過疎対策がさけばれている。その結果,道路が整備され,交通手段としての自動車が普及し,週日は農村の自宅から都市の工場へ通勤する,いわゆる〈土曜日曜農民Samstag-Sonntags Bauer〉が増える傾向がみられるようになった。
歴史
先史時代のオーバーエスターライヒ地域は,ハルシュタット鉄器文化(前1000-前900)で幕をあける。後6世紀にはバユバールBajuvar族(バイエルン)が南ドイツから進出し,この地域に定住する。これは今日のオーストリア文化を創造,発展させた民族である。10世紀から13世紀はバーベンベルクBabenberger時代であり,ドナウの水運が東西文化をつなぎ,活況を呈する。後のボヘミア王オタカル2世の時代にリンツを首都とするオーバーエスターライヒが設けられた(1254)。これはエンスからハウスルックまでのトラウンガウの地域をいい,今日のそれとほぼ同じ範囲である。14世紀になると,この地方は南ドイツから勢力を伸ばしてきたハプスブルク家の支配下に入り,3行政区の一つであるニーダーエスターライヒに属することとなる。現在の州は,第1次大戦の敗戦(1918)でハプスブルク王朝が滅亡し,共和国となった時点で確定した。
執筆者:住谷 一彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報