日本大百科全書(ニッポニカ) 「オールト」の意味・わかりやすい解説
オールト
おーると
Jan Hendrick Oort
(1900―1992)
オランダの天文学者。フラネケルに生まれる。フローニンゲン大学でカプタインに師事して恒星統計天文学を修め、1926年学位を取得。高速度星の速度分布の研究を始めたが、1927年にスウェーデンのリンドブラッドBeltil Lindblad(1895―1965)が、カプタインの提唱した恒星固有運動の二星流説(1902)に対して、銀河系の回転説を提案した。そこでオールトは早速、太陽周辺の諸恒星の特有運動を統計的に処理して銀河系回転説を実証した。これに続いて銀河系の力学を研究し、1932年には銀河面に垂直方向に作用する力を考究し、1938年には恒星間のガスや塵(じん)粒による星光の吸収状態を研究し、銀河系の光学・力学の両面からその構造と運動を明らかにした。そして銀河系の中心がいて座で、太陽からの距離が3万光年、中心の周りの公転周期が2億年、銀河系の全質量が太陽質量の1000億倍といったことを算定した。太陽の位置については、先にシャプリーが銀河中心から5万光年と推定していたが、オールトにより改訂された。1944年、門下生のファン・デ・フルストが、恒星間中性水素は波長21センチメートルの電波を放射することを予測、第二次世界大戦後、オールトは電波観測グループを指揮して21センチメートル波で銀河系の渦状構造を検証した。1950年には彗星(すいせい)の母胎雲が太陽から約1光年のところに帯状に存在することを唱えた。ライデン大学教授、ライデン天文台台長、国際天文学連合事務総長などを歴任した。
[島村福太郎]