クアジーモド(読み)くあじーもど(その他表記)Salvatore Quasimodo

デジタル大辞泉 「クアジーモド」の意味・読み・例文・類語

クアジーモド(Salvatore Quasimodo)

[1901~1968]イタリア詩人初期叙情詩を、第二次大戦中から反ファシズムの詩を作った。1959年ノーベル文学賞受賞詩集水と土」「来る日も来る日も」。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クアジーモド」の意味・わかりやすい解説

クアジーモド
くあじーもど
Salvatore Quasimodo
(1901―1968)

イタリアの詩人。8月20日、シチリア島のモディカに生まれる。父親が国鉄に勤めていたため、同島南東岸沿いの諸都市に移り住む。ラグーザシラクーザジェーラアグリジェントメッシーナなど、いずれも古代ギリシアの植民市として栄えた土地である。祖母はパトラッソ出身のギリシア人で、南イタリアのギリシア的風土と古代ギリシア人の生き残りといわれるシチリア人の気質とが、幼少のころから彼を詩に親しませたという。長じて発表した現代イタリア語訳『ギリシア叙情詩選』(1940)はクアジーモドの大きな業績の一つに数えられている。パレルモやメッシーナの工業専門学校を卒業し、1919年にはシチリア島を離れ、ローマ大学の工学部に進んだが、経済的理由から中退、政府土木局に勤めながらイタリア各地を転々とした。23年からギリシア、ラテンの古典研究に打ち込み、同時にシチリアの風土と古代ギリシアの神話の世界を叙情詩に歌い上げていった。そのころ、親交があり、妹の結婚した相手でもあり、同じくシチリア島出身であった小説家ビットリーニに勧められて、『ソラーリア誌上に詩を発表し始め、処女詩集『水と土』(1930)を刊行した。このような叙情詩は、第二次世界大戦の惨禍反ファシズム抗争の苦悩なかで、硬い相貌(そうぼう)をとって生まれ変わった。激動する時代のなかですべてのエルメティズモ錬金術主義)の詩人たちが沈黙したとき、クアジーモドは叙情詩とも抵抗詩とも名づけがたい詩集『来る日も来る日も』(1947)、『人生は夢でない』(1949)などを書き続け、59年にノーベル文学賞を受賞。また初期の詩の集成に『そしてすぐに日は暮れる』(1942)、詩人の社会的責務を論じた評論集『詩人と政治家』(1960)などがあり、新たな詩法の展開をみせかけていた68年6月14日、旅行先のナポリで急逝した。

河島英昭

『『ノーベル賞文学全集24 ミストラル・エリオット・クワジーモド』(1972・主婦の友社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クアジーモド」の意味・わかりやすい解説

クァジーモド
Quasimodo, Salvatore

[生]1901.8.20. モディカ
[没]1968.6.14. ナポリ
イタリアの詩人。 20世紀イタリア詩の主流エルメティズモ (錬金術主義) の代表者の一人。父親が国鉄職員で,転勤のため,幼少時代をシチリア島の各地で過した。古代ギリシア神殿の廃虚と失われた幼い日の地中海の感覚とが,初期の詩の主題になっている。しかし第2次世界大戦を境に詩風を変え,戦争の惨禍とファシズムの暴虐のなかで,抒情詩とも叙事詩ともつかない一連の抵抗詩を著わした。 1959年ノーベル文学賞受賞。主著『そしてすぐに日は暮れる』 Ed è subito sera (1942) ,『来る日も来る日も』 Giorno dopo giorno (47) ,『萌えゆく緑,散りゆく緑』 Il falso e vero verde (53) ,『比類なき土地』 La terra impareggiabile (58) ,『与えることと持つこと』 Dare e avere (66) 。

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