イギリスの化学者、物理学者。1848年から王立化学大学Royal College of Chemistryに学び、1850~1854年ホフマンの助手をつとめた。1859年『ケミカル・ニューズ』を創刊、以後その編集にあたった。初めファラデー、ホイートストン、ストークスらの影響で、分光器、真空ポンプ、および写真など当時最新の物理的実験装置を駆使した研究を行い、1861年スペクトル分析によりタリウムを発見、1873年真空天秤(てんびん)を用いてその原子量を測定した。その際観察された「熱放射の圧力」測定のため、1876年「ラジオメーター」を発明。ついで「電気的ラジオメーター」の製作を契機に一連の有名な真空放電実験に向かい、「分子物理学」を展開。さらに1886年「発生の螺旋(らせん)」を考案、プラウトの仮説を踏まえて元素の起源と発生を論じた。なお、一時心霊術に凝り、「心霊科学」を唱えたこともある。
[宮下晋吉]
イギリスの化学者,物理学者.ロンドンに生まれる.16歳のときに創立間もない王立化学カレッジに入学.1850年同校のA.W. Hofmann(ホフマン)の助手に採用され,M. Faraday(ファラデー)らの影響で,分光器・写真技術・真空技術など,物理的実験手段についての研究をはじめた.4年後オックスフォード大学の観測所の気象部門に勤務.翌年チェスター教員養成カレッジの化学講師となり,写真を科学研究に応用することを追求し,1856年写真協会の書記を2年間務めた.また,1859年には化学雑誌Chemical Newsを創刊.1861年に十年来所持していた不純なセレンから既知の元素テルルの存在を見つけたが,単離することができなかったので,分光分析法で詳しく調査したところ,鮮明な緑線を見いだし,この線は新元素にもとづくものとして,新発見の新元素にギリシア語の“新芽”を意味するタリウムと命名した.この新元素は,かれとは独立に1862年フランスの化学者C.A. Lamyが発見している.Crookesはタリウム発見により高い評価を得,1863年にはロイヤル・ソサエティ会員になった.また,分光器の使用で実験の精度をいちじるしく向上させたことでも学界の注目を引いた.その後,高度に排気した容器中での光の作用を検討し,1876年ラジオメーターを発明して大きな反響をよんだ.さらに,希薄気体中の放電現象を研究の対象とし,陰極が暗部に囲まれていることを観察した.これがいわゆるクルックス暗部(陰極暗部)である.また,希土類元素の陰極線ルミネセンスの重要な研究を行った.1900年にはウラン中よりウランXを分離した.1897年にはナイトの爵位を得,1913~1916年ロイヤル・ソサエティの会長を務めた.一時,心霊術に凝り,“心霊科学”を提唱した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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イギリスの化学者,物理学者。ロンドンの生れ。ロンドンにある王立化学大学を卒業後,有機化学者A.W.ホフマンの助手となったが,有機化学には興味がもてず1854年に辞し,56年から自宅の実験室を用いて化学コンサルタントとなり,59年からは《ケミカルニュース》の編集者にもなった。60年に発表されたR.W.ブンゼンとG.R.キルヒホフらによる分光分析に注目し,61年には新金属元素タリウムを発見し,この功績によりローヤル・ソサエティの会員に選ばれた。またタリウムの重量分析用真空てんびんを製作する中でラジオメーター(放射計)を発明し(1875),羽根の回転の原因を気体分子運動論より説明した。さらに電極のついたラジオメーターを作ったことから陰極線の研究へと向かい,クルックス管を作ったが,真空放電現象をも気体分子運動論で説明し,〈物質の第四状態〉という神秘的な考えを主張して(1879),E.ゴルトシュタインなどに批判された。一時期,心霊術の研究に没頭したことでも知られる。
執筆者:河村 豊
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