クルッツェン(読み)くるっつぇん(英語表記)Paul J. Crutzen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クルッツェン」の意味・わかりやすい解説

クルッツェン
くるっつぇん
Paul J. Crutzen
(1933―2021)

オランダの化学者。アムステルダム生まれ。1959年にスウェーデンストックホルム大学気象学研究室でコンピュータ・プログラマーとして就職、働きながら単位を取る。1965年から大気オゾン層の光化学に興味をもち研究を始める。1970年に窒素酸化物が触媒的に(窒素酸化物自体は消費されずに)オゾンを破壊することを示した。イギリスのオックスフォード大学での研究を経てストックホルム大学に戻り、超音速旅客機排気ガスがオゾン層に及ぼす影響を研究し、1973年に博士号を取得。1974~1980年アメリカ大気研究所。1980年よりマックス・プランク化学研究所教授となる。1980年代にはオゾンホールについての研究も行った。また、低い高度の大気中のオゾン量は気候生物資源活動に大きく左右され、オゾン量が増えすぎることも問題であることを指摘した。オゾンの形成と分解に関する研究の功績により、1995年にM・モリーナ、S・ローランドとともにノーベル化学賞を受賞した。

[馬場錬成]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クルッツェン」の意味・わかりやすい解説

クルッツェン
Crutzen, Paul

[生]1933.12.3. オランダ,アムステルダム
[没]2021.1.28. ドイツ,マインツ
パウル・クルッツェン。オランダの化学者。1970年,窒素酸化物が,太陽の紫外線放射から地球を守るオゾン層の破壊を促していることを発見し(→オゾン層の破壊),アメリカ合衆国のマリオ・モリナ,F.シャーウッド・ローランドとともに 1995年にノーベル化学賞(→ノーベル賞)を受賞した。1973年ストックホルム大学で気象学の博士号を取得後,ドイツのマインツにあるマックス・プランク化学研究所に勤務。1970年には地中の細菌類(バクテリア)によってつくられる不活性の一酸化二窒素 N2Oが成層圏まで上昇すると,太陽エネルギーによって酸化窒素 NO二酸化窒素 NO2の二つの反応性化合物に分解され,これらがしばらくの間触媒反応を続けることで,大気中のオゾン O3が破壊されることをつきとめた。論文はイギリス王立気象協会の季刊誌に同年掲載され,すぐには広く受け入れられなかったが,モリナやローランドら化学者たちの研究に道を開いた。また 2000年に,現生人類ホモ・サピエンス)による活動の結果,地球表面や大気,海洋,栄養循環システムが大きく変化し始めた歴史上最も新しい時代として,「人新世(アントロポセン)」anthropoceneの語をつくったことでも知られる。

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化学辞典 第2版 「クルッツェン」の解説

クルッツェン
クルッツェン
Crutzen, Paul

オランダの気象学者.ストックホルム大学で学位を取得して,アメリカ大気研究センターを経て,ドイツのマックス・プランク協会化学研究所の大気化学部長となった.1970年成層圏のオゾンが窒素酸化物によっても分解されること,その窒素酸化物が地中の微生物によって生産されたものに由来することを解明した.1982年には核戦争の大気への影響,オゾン層の破壊や火災によって発生した煙による気温の低下などを予測し,“核の冬”理論の発展に寄与した.オゾン層の生成と分解に関する研究によって,1995年S. Rowland(ローランド),M. Molina(モリーナ)とともにノーベル化学賞を受賞した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

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