改訂新版 世界大百科事典 「コミーヌ」の意味・わかりやすい解説
コミーヌ
Philippe de Commynes
生没年:1447ころ-1511
フランスの回想録作者。フランドルの領主貴族の家系の出。父ニコラはブルゴーニュ公フィリップ2世(善良公)に仕えた。もともとの家領コミーヌはイープル南東の,現在フランス・ベルギー国境の町。コミーヌはそのさらに西,サン・トメール近郊のルネスキュールに生まれたらしい。1464年以降ブルゴーニュ公フィリップの息シャルルの側近に入る。67年父公を継いだシャルル(突進公)に72年まで仕えた後,シャルルに敵対するフランス王ルイ11世の側近に入る。ルイの資質を高く評価しての鞍替えと批評されるが,ルイの贈与に多くを期待してのことでもあったらしく,南西フランス,ペリゴールの一領主領アルジャントン,パリ近郊シャイヨの領地等,所領,官職,年金,知行等多くを得た。枢密顧問官といった職にあり,ルイ王晩年の日々の記録はその《回想録》に詳しい。83年ルイ王を継いだシャルル8世の代,コミーヌは政治の中枢から退けられ,96年以降はアルジャントンの館にこもり,1511年死去した。《回想録Mémoires》はフランス語で執筆され,8巻から成り,6巻までは1490年前後に書かれ,ほぼルイ11世の時代の国際的政治風土を叙している。残り2巻はシャルル8世のイタリア戦争を記し,これは97年に執筆された。実利主義的判断力を重んじる権謀術数思想はマキアベリに通じるものがある。カルメット編注3冊本(1924-25)が出ている。
執筆者:堀越 孝一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報