改訂新版 世界大百科事典 「コミ共和国」の意味・わかりやすい解説
コミ[共和国]
Komi
ロシア連邦内の共和国。ソ連邦ロシア共和国内の自治共和国であったが,ソ連の解体にともない,1992年共和国を宣言した。ヨーロッパ・ロシアの北東部に位置し,東はウラル山脈の分水嶺が境界となり,北部は北極圏に含まれる。面積41万5900km2,人口101万8674(2002)。民族構成はコミ人23.3%,ロシア人57.7%,ウクライナ人8.3%,ベラルーシ人その他10.7%(1989)。コミ人の多くは農村に居住する。おもな都市は首都シクティフカルSyktyvkar(人口22万8928,2004)のほかにボルクター,ウフタ,インタ。国土の大半をペチョラ低地が占め,東端のウラル山脈と北西部から南東部に延びるティマン丘陵(最高点456m)の地域のみが比較的高い。国土の最北部(面積で13%)はツンドラであり,また12~15%が沼沢地である。気候は大陸性で冬は長く厳しく,夏は比較的暖かいが短い。シクティフカルの月平均気温は1月-15.1℃,7月16.6℃。年降水量は600~700mm。国土を貫流するペチョラ川は1500kmにわたって船舶の航行が可能だが,年間180~220日は氷に閉ざされる。国土の71%がトウヒ,マツ,カンバを中心とする森林におおわれている。耕地に適した土地は国土の2%程度であり,主要な産業は,林業と石炭・石油・天然ガスの採掘である。木材は河川を利用して流送されるか,ペチョラ鉄道によってロシア各地に送られる。製紙,パルプ産業はヨーロッパ最大級の規模を誇る。また,ロシア屈指の炭田であるペチョラ炭田(埋蔵量426億t)の石炭もサンクト・ペテルブルグ方面に供給される。石油・天然ガスは,1960年代からティマン・ペチョラ油田で大規模に採掘され,ウフタに精油所がある。
コミ人はウドムルト人などと同様フィン系の民族で,その言語コミ語(ジリャン語)もフィン・ウゴル系に属する。コミ共和国のコミ人はコミ・ジリャン人Komi-zyryaneとも呼ばれる。南隣のコミ・ペルミャク自治管区(1925年成立,面積3万2900km2,人口15万8500)には同系のコミ・ペルミャク人Komi-permyakiが住む。両者の祖先は共通で,現在のコミ・ペルミャク自治管区にあたる地域に住んでいたが,500~1000年にかけてその一部が北上し,現在のコミ人となった。コミ人は12~14世紀にはノブゴロド公国に従属していたが,1478年にモスクワ大公国に併合された。16~18世紀にはロシア中央からアルハンゲリスクとシベリアに向かう2本の交易路がこの地域を走るようになった。19世紀から20世紀初頭にかけ,ロシアおよび外国の企業がこの地域の豊富な森林資源に目をつけ,主として輸出用に多量の材木を伐採した。革命と内戦は,ボリシェビキ党の勢力,コミ民族革命派と左派エス・エル党の連合軍,および英仏干渉軍に後押しされた反革命軍の3者の対抗として戦われ,1920年3月にボリシェビキ党の勝利によって終わった。21年にコミ(ジリャン)自治州が成立し,1936年憲法によって自治共和国に昇格した。30年代から第2次大戦後にかけ,ペチョラ炭田の開発とペチョラ鉄道(コトラス~ボルクター)の建設の二大プロジェクトを中心とした工業開発が進み,コミ自治共和国はソ連邦中央に対する木材,石炭,石油の供給基地として大きな役割を果たすことになった。
資源開発にともなうロシア人等の流入によりロシア語への同化が進み,コミ人,コミ・ペルミャク人の民族語を母語とする割合はそれぞれ74.4%,82.9%(1989)である。1980年代末の民主化にともない,コミ語やコミ文化への意識が高まるとともに,資源開発や利益配分について,連邦政府に対し共和国側の発言権が強まりつつある。首都には総合大学と教育大学,ウフタに工業大学がある。
執筆者:青木 節也+庄司 博史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報