アメリカの小説家、劇作家。アルメニア系移民の子としてカリフォルニア州のフレズノに生まれる。貧しい幼少年時代を送り、ともかく高校は出た。すぐ電報配達員になり、以後雑多な職業を転々とした。『ストーリー』誌に短編『空中ブランコに乗った勇敢な青年』(1934)を発表して有名になった。これは若く貧しい芸術家の意識の流れをたどった美しい作品で、サロイヤンの出世作となったが、その作風は、続いて発表された数々の短編、長編、戯曲などの基調となった。感傷的なところもあるが、ささやかな庶民感情や童心の機微を爽快(そうかい)な文体でつづるいわゆるサロイヤン調、その庶民的ユーモアとペーソスを、1930年代から第二次世界大戦とその後の動乱の時代を通じて一貫してもち続けているのは、作者の芯(しん)の強い真摯(しんし)な生き方によるのであろう。
フレズノの田舎(いなか)町を舞台に、そこに生きる貧しく善良な人々を描いたもっとも優れた短編集『わが名はアラム』(1940)、同じくアルメニア系移民の人々の貧しいが明るい生き方を軽妙に描いた有名な長編『人間喜劇』(1943)のほか、ブロードウェーで成功した戯曲『わが心は高原に』(1939)があり、続く戯曲『君が人生の時』(1939)は優れた構成と豊かな詩情で好評を得、ピュリッツァー賞に決定しながら作者は受賞を拒否した。商人(ピュリッツァー)に文学がわかってたまるかというのがその理由であった。ほかの作品に、人気映画スターの孤独と苦悩を描いた『ロック・ワグラム』(1951)、老年に近づきつつある作家のほろ苦い生活を描写した『人生の午後のある日』(1964)、短編集『アッシリアの人びと』(1950)などがあり、自叙伝『ベバリー・ヒルズの自転車乗り』(1952)や回想録もある。
[後藤昭次]
『倉橋健訳『我が心高原に』(1950・中央公論社)』▽『末永国明訳『サロイヤン傑作集』(1956・新鋭社)』
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