サントーメプリンシペ(英語表記)São Tomé e Príncipe

改訂新版 世界大百科事典 「サントーメプリンシペ」の意味・わかりやすい解説

サントーメ・プリンシペ
São Tomé e Príncipe

基本情報
正式名称=サントーメ・プリンシペ民主共和国República Democrática de São Tomé e Príncipe 
面積=964km2 
人口(2010)=16万人 
首都=サン・トーメSão Tomé(日本との時差=-8時間) 
主要言語ポルトガル語,バントゥー諸語 
通貨ドブラDobra

西アフリカギニア湾にあるサン・トーメ島Ilha São Tomé(862km2),プリンシペ島Ilha Príncipe(101km2)の2島を中心とする群島国家。1975年ポルトガルから独立した。アフリカではセーシェルに次ぐ小国で,人口の大部分はサン・トーメ島北東岸にある首都サン・トーメおよび同島東岸の少数の村落に集中している。
執筆者:

島の地質は火山性で,ギニア湾上のビオコ(フェルナンド・ポー)島(赤道ギニア領),大陸部のカメルーン山につながるカメルーン火山系の一部をなしている。海岸には比高3~25mの海岸段丘が形成されている。高温多湿な熱帯性気候を示すが,標高2024mのサン・トーメ山をもつサン・トーメ島では風上と風下の降水量の差が大きく,風上にあたる南部では年間5000mmに達するのに対して,風下側の北部では800mm前後である。したがって植生は大部分が熱帯雨林におおわれているが,一部ではサバンナや開墾による二次林がみとめられる。
執筆者:

住民の構成は奴隷貿易の中継基地であったいきさつから複雑で,6グループからなる。最も古い住民で,植民地初期に移入されたアフリカ人奴隷の子孫はフィリョス・ダ・テラfilhos da terraと呼ばれる。アンゴラから移入された奴隷の子孫はアンゴレールangolaresと呼ばれ,おもに漁民である。奴隷廃止時代の自由奴隷の子孫はフォロスforrosと呼ばれる。新しい住民のうちセルビセserviçaisはアンゴラ,モザンビークベルデ岬諸島からの出稼ぎ労働者である。トンガスtongasは島生れのセルビセの二世,三世にあたる。ポルトガル人はかつて4000人を数え,島の80%の土地を支配し,コーヒー,カカオココヤシアブラヤシなどのプランテーションを経営していたが,独立時に大多数は本国へ引き揚げ,少数のみがサン・トーメ島に残った。言語はポルトガル語が公用語で,ほかに三つの地方語が話される。宗教は多くがカトリック教徒である。
執筆者:

1470年代にポルトガル人がサン・トーメ島に渡来し,その肥沃な土地にサトウキビ農園を開くとともに,大陸沿岸部のベニン王国コンゴ王国などと交易を開始した。交易によってポルトガル人が手に入れたものはコショウ,ヤシ油,ヒョウの毛皮,象牙,奴隷などであったが,とくに奴隷はサトウキビ農園の労働力として不可欠であった。奴隷の移入はしだいに大規模となり,サン・トーメ島はやがて大西洋奴隷貿易の一大中継地となった。19世紀に入って奴隷貿易が衰退すると,サン・トーメ島はアンゴラ,モザンビークといった他のポルトガル植民地から移入されたアフリカ人労働者に依存する砂糖,ココアコプラなどの生産地として,いっそう開発が進められた。

 第2次世界大戦後アフリカでも民族解放運動が高まった。サントーメ・プリンシペでは1960年9月にサントーメ・プリンシペ解放委員会(CLSTP)が設立され,対岸の隣国ガボンの首都リーブルビルに本部を置いて活動を開始した。CLSTPは61年にモロッコのラバトで開かれたポルトガル植民地民族主義組織会議の創立大会に代表を送り,63年8月の農園労働者による全国規模のストライキで指導的役割を果たしたが,植民地政府の弾圧によってその力は弱まった。しかし74年4月のポルトガル本国のクーデタ以後,新政府は植民地への独立賦与宣言を発表し,各地の解放勢力と独立交渉に乗り出した。これを受けてサントーメ・プリンシペ解放運動(MLSTP。1972年にCLSTPを改称)が交渉の主体となり,同年11月の独立協定(アルジェ協定)により75年7月に独立を達成した。

独立とともにダ・コスタManuel Pinto da Costa(1937- )が初代大統領に就任し,憲法に国家機関と規定されているMLSTPの一党支配体制のもとで国家建設に着手した。しかし独立後経済が悪化したこともあって政府批判が強まり,77年7月,78年3月,80年11月にはクーデタ未遂事件が起こった。この間1979年9月にはミゲル・トロボアダMiguel Trovoada元首相が政治的陰謀に荷担したという理由で逮捕される事件が起こるなど,政治的不安定状況がつづいたが,1978年末以降アンゴラ軍の駐留もあって,ダ・コスタ政権はもちこたえた。一方,悪化する経済を立て直すため,85年以降経済自由化政策を導入し,西側へも接近し始めた。なお,ダ・コスタ大統領は85年9月に3選され,87年10月には普通選挙制度やMLSTP外からの立候補を認める憲法改正を行った。90年8月複数政党制に移行し,91年1月の議会選挙では野党が過半数を獲得。同年3月の大統領選挙ではトロボアダ元首相が現職のダ・コスタを破った。しかし,94年10月の議会選挙ではサントーメ・プリンシペ解放運動・社会民主党(MLSTP・PSD。旧MLSTP)が第一党に返り咲き,96年7月の大統領選挙(決選投票)でもダ・コスタが雪辱した。

独立前と同じく,経済は基本的には農産物,それも主としてココアに依存している。しかし20世紀初頭にピークに達したココアの生産は,農地がしだいにやせてきたことや,樹木の老齢化,労働力不足などのため近年かなり下降している。独立後政府はポルトガルの企業や個人が所有していたココアなどの農園を国有化し,78年からココア農園復興投資三ヵ年計画を実施した結果,生産は立ち直るかにみえたが,80年代に入って生産量は大幅な減少を続けた。このため,85年から経済自由化政策へ転換し,民間部門へのてこ入れ,外国資本の導入などに積極的に取り組みはじめた。旧宗主国ポルトガルとの経済関係も強化の方向に向かい,87年には世界銀行,IMF,アフリカ開発銀行などの勧告や支援を得て,農業生産の増加,通貨(ドブラ)の切下げなどを含む新たな構造調整計画が開始されたが,経済状況はいぜんとして困難である。主要産品はココアのほか,ヤシ油,バナナ,コーヒーなどである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サントーメプリンシペ」の意味・わかりやすい解説

サントーメ・プリンシペ
São Tomé e Príncipe

正式名称 サントーメ・プリンシペ民主共和国 República democrática de São Tomé e Príncipe。
面積 1001km2
人口 21万4400(2021推計)。
首都 主島サントーメ島北東岸のサントーメ。

アフリカ大陸西岸沖にある島国。ガボンの首都リーブルビルの沖合い約 300km,ギニア湾南東部に浮かぶサントーメ島(面積 859km2)と,その北東方約 150kmのプリンシペ島(面積 142km2),およびその周辺の 4小島からなる。両島とも火山起源で中西部が高く,平地は北東部と南東部にかぎられる。最高峰はサントーメ島のピコデサントーメ山(2024m)。南西からの湿った風が高い山にさえぎられるため,サントーメ島の南西部は一年を通じて雨が多く,年降水量 7000mm。北東部は 6~9月が乾季で,年降水量 750mm程度。海岸部は年平均気温 30℃近く,湿度 80%前後と蒸し暑いが,標高 700m以上の地域では気温が低く,夜は 10℃以下になる。人口の 90%以上がサントーメ島に集中。おもな住民は,奴隷であったアフリカ人(→バンツー語系諸族)と入植ヨーロッパ人の混血。カトリック教徒が約 8割を占め,残りの多くもプロテスタント。公用語はポルトガル語。1470年代にポルトガル人が到来,当時は無人島であったが 15世紀末にポルトガルが入植者を移住させるとともにアフリカ大陸から奴隷を送り込みサトウキビ栽培に着手,世界有数の砂糖の産地,大西洋航路の補給基地として繁栄した。1641年,一時オランダが占領。16世紀後半に砂糖の主産地がブラジルに取って代わられるとブラジルへの奴隷送出地となったが,1822年にブラジルが独立すると主産業をコーヒーとカカオに転じ,20世紀初めには世界最大のカカオ産地となった。しかし第1次世界大戦後には生産が落ち込み,衰退した。1951年からポルトガル海外州となり,その後独立運動はあったが戦闘にまではいたらず,1975年独立。1990年8月の国民投票で多党制移行を決定,1991年の総選挙で一党独裁は終わった。主産物はカカオ,コーヒー,コプラ,パーム油,パーム核などで,サントーメ港から輸出。農地は少数企業によるプランテーション農業に占められていたが,20世紀末までの農地改革で多くが解体された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サントーメプリンシペ」の解説

サントーメ・プリンシペ
São Tomé e Príncipe

西アフリカ,ガボン沖のサントーメ島,プリンシペ島を主とする共和国。1470年代にポルトガル人が発見,アフリカ各地から黒人を移送し開発。大西洋奴隷貿易の中継基地になった。1975年7月独立。

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