ドイツ汎愛派の教育家。イェーナで神学を修める。十数年間にわたる牧師生活を経て,1781年J.B.バゼドーの創設になるデッサウの汎愛学校Philanthropinumに招かれ,2年間宗教教師を務めた。84年ゴータ公エルンスト2世の援助のもとにシュネッフェンタールSchnepfenthalに独自の汎愛学校を設立し,終生その指導に心血を注いだ。この学校は1934年まで存続。彼の教育思想は汎愛派を特色づける啓蒙的合理主義に貫かれており,子どもの潜在的諸能力の調和的育成による個人的幸福の実現を第一義としている。体育と徳育の重視,博物,地理などの実科教科の導入,子どもの自己活動の重視,作業教育,直観教授,徒歩旅行による教育等々が彼の思想と活動を特徴づけている。J.C.F.グーツ・ムーツらが教師として彼の学校に協力,卒業生に近代地理学の創始者K.リッターがいる。長年の教育実践に基づく著述も多く,《蟹の本》や《蟻の本》などが有名であり,戦前の日本でもその翻案や翻訳が読まれ,教育界に影響を及ぼした。
執筆者:平野 正久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの汎愛(はんあい)派教育者。牧師であったがバゼドウに招かれてデッサウの汎愛学院で宗教を教え(1781~1783)、ゴータ侯の援助でシュネッペンタールに学校を開設(1784)。ザルツマン学校とよばれ、教育目標に「思考、忍耐、行動」を置き、作業と体育を重視した全人陶冶(とうや)を目ざし、教育方法の心理化と共同生活の訓練による道徳の涵養(かんよう)を強調。家庭的雰囲気を重んじ個性伸長の少人数教育を実践しながら『カニの小本』(1780)、『アリの小本』(1806)を著す。ルソーの影響を受けて自然主義の立場を推進し、進歩的思想を発展させたが、一方、封建勢力と結び付いてその代弁者となり(1801)、反ヒューマニズム的と非難もされた。
[増渕幸男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…共同宿泊をともなう点で遠足と,また学習目的が複合的であり複数の目的地を周遊する点で臨海学校,林間学校,合宿などと区別される。C.G.ザルツマン,シュトイKarl Volkmar Stoy,ラインWilhelm Reinらドイツの教育者により,18世紀後半から19世紀にかけて自然学習および身体訓練の目的をもって唱道され組織された徒歩旅行Wanderungen,教育旅行pädagogischer Reisenなどの影響を受けつつも,日本独特の性格をもつ学校行事として展開された。初代文相森有礼による兵式体操重視方策の一環として,1886年2月高等師範学校男子部が千葉県銚子へ実施した行軍旅行が端緒とされる。…
※「ザルツマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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