改訂新版 世界大百科事典 「ジャルモ」の意味・わかりやすい解説
ジャルモ
Jarmo
イラク北東部,キルクーク東方のザーグロス山脈中にある,最初に発見された初期農耕村落の遺跡。食糧採集の段階から食糧生産の段階にいたる過程を究明する目的で,シカゴ大学オリエント研究所のブレードウッドR.J.Braidwood(1907- )が1948-55年に発掘を行った。現在では常識となっているが,初めて考古学者が地質学・動物学・植物学などの自然科学者と共同で行った発掘で,西アジアの遺跡発掘に新時代を開いた。ただし残念なことに,その報告書(1960)は考古学の部分がかなり貧弱である。それによると,遺跡はワジの断崖上にあり,標高約800m,約1.3haの広さで,約7mの堆積があり,16層が認められた。16~6層は土器の発明以前で,粘土で縁取りして焼かれたピットが認められ,また石製容器,瀝青を塗った籠なども用いられた。5~1層には土器がある。ピゼpiséと呼ぶ泥壁づくりの方形の家に住み,20~30戸で150人の村落と推定されている。彼らはエンマ小麦,アインコルン小麦,大麦,豆類を栽培し,ヤギ,犬,豚を飼い,カタツムリを大量に食した。打製石器を木の柄にはめた鎌を用いて栽培植物を刈り取り,穀物はすり臼で製粉した。管玉・腕輪などの装身具,女性土偶,動物土偶も出土している。初期の炭素14法によって前5000年という年代がこの遺跡に与えられたため,メソポタミア先史時代の編年に大きな混乱を与えたが,現在では前6500年(炭素14年代)ころと一般に認められている。
→新石器時代
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報