オランダの風俗画家。ライデンに生まれ同地で没。1646年ライデン大学に入学したのち画道に転じる。師としてはクニュッフェルNicolaus Knüpfer,ファン・オスターデAdriaen van Ostade,ファン・ホイエンの名が伝えられているが,はっきりしない。40年代末からハーグ,ライデン,デルフト,ハールレムの各都市で活動。非常な多作家であり,しかもライデン派の細密描写や滑沢な画面の仕上げ,デルフト派の親密な主題(家庭の光景など)や合理的な室内空間構成などを次々にとり入れて消化し,つねに水準の高い作品を描いた。とりわけ彼の才能がみごとに示されているのは,都市の中流階級や農民たちの陽気で放埒な生活を題材にして教訓やことわざを盛り込んだ,機知と批判精神に満ちた一連の風俗画である。カトリック信者であったステーンは同時にまた,敬虔な宗教画や旧・新約聖書に取材した物語画をのこしている。
執筆者:高橋 達史
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… 〈風俗画の世紀〉とよばれる17世紀のオランダ絵画では,画家は日常生活の営みに見いだせる矛盾,誤謬(ごびゆう),悪習を追求する。ヤン・ステーンは《肥った台所》で,〈そのように親が歌えば,子どもは笛を吹く〉というネーデルラントの諺を思わす,酒びたりの親とそれを模倣する男の子をコミカルに描く。それと同時に,乱雑な部屋や怠惰な飽食人間をも風刺している。…
…ただしここで大きな役割を果たしたのは,題材だけでなく,革新的なリアリズムの台頭であり,とくにルネサンスの古典的な美のカノンに反旗を翻したカラバッジョは,その斬新な主題解釈と表現(《マタイ伝》で,聖人を禿頭でよごれた足の労働者として描く)で,17世紀の北方の画家たちに強い影響を与えた。他方,プロテスタンティズムの勝利と国家の経済的繁栄によって富裕な市民の国となったオランダは,デ・ホーホの家事に励む主婦,ヤン・ステーンの家庭での市民の団欒(だんらん),フェルメールの手紙を読み奏楽する若い娘などの主題が愛好された。このころから〈主題の専門化の風潮〉(ゴンブリッチ)が決定的となる。…
※「ステーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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