出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ハンガリー生まれのアメリカの生化学者.ブダペスト大学で医学を学び,1920年オランダのライデン大学薬学研究所助手,1922年同国Groningenの生理学研究所勤務ののち,1927年イギリスのケンブリッジ大学でF.G. Hopkins(ホプキンス)のもとで研究し,1930年ハンガリーのセゲド大学の医化学教授となる.第二次世界大戦中にブダペストにいながらスウェーデン国籍を取得し,ブダペストのスウェーデン大使館から多大の支援を受けた.戦後,ブダペスト大学医化学教授となる.1947年に渡米,1955年に帰化し,Woods Hole臨海実験所の筋肉研究所所長となる.副腎から分離されたアスコルビン酸がビタミンCであることの同定,および細胞の呼吸において,C4-ジカルボン酸が重要なはたらきをしていることを発見しクレブス回路解明への道をひらいた.1937年ノーベル生理学医学賞を受賞.1939年以後,筋肉収縮の生化学的研究を進め,1942年ガラス器内でアクトミオシンがアデノシン5′-三リン酸により収縮させられることを発見し,筋肉収縮機構の解明に貢献した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
ハンガリーの生理・生化学者。ブダペスト,プラハなどの大学で学び,オランダでアスコルビン酸(ヘキスロン酸,ビタミンC)と生体内の酸化還元反応におけるその役割を発見。この業績で1937年度ノーベル医学生理学賞を受けた。ついで筋収縮の研究に転じ,生体外で作ったアクトミオシンが,エネルギー源物質であるATPによって収縮することを発見し,分子レベルでの収縮機構研究の糸口を開いた。47年にアメリカに渡り,ウッズホール臨海実験所で活動。正誤とりまぜ多数の独創的理論をだした。第2次世界大戦時には反ナチの抵抗運動に参画した。
執筆者:長野 敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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