室津(読み)ムロツ

デジタル大辞泉 「室津」の意味・読み・例文・類語

むろつ【室津】

兵庫県西部、たつの市の地名。播磨灘はりまなだに臨み、古くは瀬戸内海航路の要港として繁栄し、五泊の一に数えられた。むろのつ。室の浦。

むろ‐の‐つ【室津】

むろつ

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精選版 日本国語大辞典 「室津」の意味・読み・例文・類語

むろつ【室津】

  1. [ 一 ] 兵庫県揖保(いぼ)御津町の地名。播磨灘に面する。漁港があり、奈良時代は播磨五泊の一つに数えられる要港。中世には倭寇の根拠地となり、江戸時代は瀬戸内海航路の寄港地であった。遊女の発祥地としても知られた。瀬戸内海国立公園の一部。室。室の津。室の泊り。室津の泊り。
  2. [ 二 ] 高知県室戸市の地名。古くは室戸岬一帯をいった。〔二十巻本和名抄(934頃)〕

むろ‐の‐つ【室津】

  1. むろつ(室津)[ 一 ]

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日本歴史地名大系 「室津」の解説

室津
むろつ

[現在地名]御津町室津

嫦娥じようが山の山麓、播磨灘に面する入江に位置し、西の入江に大浦おおうらの集落がある。東は七曲ななまがりを経て伊津いつ村出屋敷伊津浦、北は野瀬のせ(現相生市)

〔古代〕

播磨国風土記」の揖保郡浦上うらかみ里の条に室原むろう泊がみえ、室の地名の由来はこの泊が風を防ぐこと室のようであるからという。「万葉集」巻一二には「室の浦の湍門の崎なる鳴島の磯越す波に濡れにけるかも」とみえる。延喜一四年(九一四)四月二八日の三善清行上奏の意見十二箇条に「自生泊至韓泊一日行」とあり、他の魚住うおずみ(現明石市)大輪田おおわだ(現神戸市兵庫区)河尻かわじり(現尼崎市)の各泊とともに行基の建置によるものとされる。康保三年(九六六)五月三日の清胤王書状(九条家本延喜式裏文書)によると、周防国官米船が寄港している。治承四年(一一八〇)三月高倉上皇は高砂を経て室泊に到着し、翌日は備前国児島こじま泊に向かっている(高倉院厳島御幸記)。「歴代皇紀」巻四の寿永二年(一一八三)一一月条によると、源行家は平教盛・重衡と室津付近で合戦し、敗れて和泉国へ落延びたという。瀬戸内海の海上交通の要衝であり、また歌枕の地として「新撰和歌六帖」「堀河院百首和歌」や承安二年(一一七二)一二月沙弥道因広田社歌合などに詠まれている。

〔中世〕

正応二年(一二八九)九月二九日の伏見天皇宣旨案(東大寺文書)によると、魚住泊修築のため摂津国尼崎と同国渡辺わたなべ(現大阪市)と並んで室泊にも石別一升の津料徴収が命じられている。建武三年(一三三六)五月、九州から攻め上る足利尊氏の船は室津に入り、白旗しらはた(現上郡町)に籠城していた赤松円心が尊氏を訪ねている(梅松論)。康永元年(一三四二)一一月一八日の矢野庄上使友実起請文(東寺百合文書)によると、京都東寺領矢野やの(現相生市)の年貢が室泊から海上を輸送されたことが知られる。康応元年(一三八九)三月二五日、安芸厳島神社参詣から帰洛途中の将軍足利義満は室の泊に入って海岸の寺に泊まり、播磨守護赤松義則の接待を受けており、当地からは陸路で帰洛している(鹿苑院殿厳嶋詣記)

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改訂新版 世界大百科事典 「室津」の意味・わかりやすい解説

室津 (むろつ)

兵庫県たつの市の室津は古代より室津湾という良好な港湾条件を備え,津泊として利用されてきた。《播磨国風土記》には〈室原泊(むろうのとまり) 室と号(なづ)くる所以(ゆえ)は,此の泊,風を防ぐこと,室の如し。故,因りて名と為す〉とあり,《万葉集》には,〈室の浦〉という名でよまれる。三善清行の《意見十二箇条》によれば,行基によって河尻,大輪田,魚住,韓,檉生(むろう)の5泊が播磨から摂津の海岸に設けられ,それぞれの泊の間の航行を1日行程として,舟行の便をはかったと記されるが,この檉生泊が室津にあたる。《山槐記》には平清盛が厳島詣で高砂から舟で室津を通りすぎたことなどの記事がある。《高倉院厳島御幸記》には〈むろのとまりにつき給,山まはりて,そのなかに池などのやうにぞ見ゆる。舟どもおほくつきたる〉とある。また《法然上人絵伝》には船に乗った室泊の遊女の姿が描かれている。岬にある賀茂神社は,京の賀茂別雷社の社領であった室御厨(むろのみくりや)を管理するために分祀されたものと推定される。《庭訓往来》には〈室・兵庫の船頭〉とあって,当時室津が日本における代表的な港湾であったことが知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「室津」の意味・わかりやすい解説

室津(兵庫県)
むろつ

兵庫県南西部、たつの市の一地区。国道250号が通じる。『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』に「風を防ぐこと室の如(ごと)し」とある天然の良港で、古代から瀬戸内海航路の要港であった。平安末期には京都上賀茂(かみがも)社領として、別宮(べつぐう)賀茂神社の門前町となり、中世には室山(むろやま)城が築かれ城下町の色彩を加えた。江戸時代、参勤交代の西国大名はここで上陸し、6軒の本陣をもつ海の宿場町として室津千軒の繁栄を誇った。いまは静かな漁港であるが町並みにかつての繁栄のおもかげをとどめる。

[大槻 守]

『『兵庫の町並――篠山・室津・平福』(1975・兵庫県教育委員会)』


室津(山口県)
むろつ

山口県南東部、熊毛(くまげ)郡上関(かみのせき)町の一地区。旧室津村。熊毛半島の南端を占め、上関海峡に臨む港町。古代には対岸長島の竈戸(かまど)関とともに賀茂別雷(かもわけいかずち)神社の社領で、西瀬戸内の要衝として知られた。1841年(天保12)の記録には総家数479軒、2397人とあり、村方と浦方に分かれていた。浦は海上石(こく)をもつ漁村で、萩(はぎ)藩御立浦(おたてうら)の一つとして沿岸漁業の中心をなした。明治以降は多くの海外移民を送り出した。長島とは上関大橋で結ばれている。

[三浦 肇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「室津」の意味・わかりやすい解説

室津
むろつ

兵庫県南西部,たつの市南西部の旧村域。播磨灘に臨む。 1889年村制施行。 1951年御津町と合体して,御津町となり,2005年龍野市,新宮町,揖保川町と合体して,たつの市となった。藻振鼻と赤松鼻の間の入江に発達した港町で,奈良・平安時代は摂播五泊の一つ。江戸時代は参勤交代で海路東上した諸大名の上陸地点として繁栄。本陣,脇本陣もあった。室津港を見おろす高台には国指定重要文化財の賀茂神社がある。明治以後は鉄道との連絡も悪く,港も狭いため繁栄の中心はほかに移った。ウメの名所で知られる。

室津
むろつ

高知県南東部,室戸市の中心市街地。室戸岬の西岸,室津川河口に位置する。室戸岬の観光基地でもある。港は江戸時代に野中兼山らによって開削されたもので,昭和初期まで遠洋漁業の基地であった。海岸沿いは室戸阿南海岸国定公園に属する。

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百科事典マイペディア 「室津」の意味・わかりやすい解説

室津【むろつ】

兵庫県たつの市御津町の一地区。播磨灘(はりまなだ)に臨む古い港町で中世以降播磨五泊の一つに数えられ,江戸時代には参勤交代の西国大名の上陸地として栄えた。現在は漁港で,瀬戸内海国立公園に属する。
→関連項目御津[町]

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旺文社日本史事典 三訂版 「室津」の解説

室津
むろつ

古来,播磨国の港町で,現在の兵庫県揖保 (いぼ) 郡御津町室津
古代には瀬戸内海の良港として五泊の一つに数えられた。中世以降,瀬戸内航路の寄港地として繁栄。江戸時代にはオランダ・朝鮮使節や西国大名の上陸地であった。明治時代以後,大型船の寄港に適さないため衰えた。

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世界大百科事典(旧版)内の室津の言及

【上関[町]】より

…山口県南東部,熊毛郡の町。1958年瀬戸内海の長島,祝島,八島などからなる上関村が熊毛半島南端の室津村を編入,町制。人口4845(1995)。…

【室戸[市]】より

…岩礁の多い室戸岬沖は古来航海の難所として知られ,南東沖合には好漁場がある。岬の西側の室津や津呂(現,室戸岬港)は古くからの風待港・避難港で,935年(承平5)国司の任を終えて帰京する紀貫之の船は,日和を待って室津に停泊している(《土佐日記》)。いずれも江戸時代に整備されて,港として発展した。…

※「室津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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