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ロシアの作曲家。幼時から家庭で音楽教育を受けたが、一般教育はペテルブルグで受ける。1831~43年司法省に勤務。34年グリンカと出会い、作曲に専心する決意を固める。44~45年のパリ滞在で母国の音楽文化を自覚、55年に国民オペラ『ルサルカ』を完成した。社会批判の立場から、とくに声楽作品においてリアリズムの方向を打ち出し、ロシア語の抑揚を生かした新しい朗唱様式(未完のオペラ『石の客』で有名)を開拓、ムソルグスキーらに強い影響を与えた。
[寺本まり子]
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…当時のロシアでは,皇室の支持を受けてA.ルビンシテインが指導する〈ロシア音楽協会〉や音楽院が,職業的音楽家を養成して音楽の技術的水準を高め,西欧の古典音楽をロシアに定着させることを目ざしていた。国民楽派のメンバーは,このようなアカデミックな立場と対立し,〈無料音楽学校〉を開設して,音楽芸術の民衆化を図り,その演奏会では,自分たちの信奉する西欧の現代作曲家(ベートーベン,シューマン,ベルリオーズ,リストら)とロシアの先輩作曲家(グリンカ,ダルゴムイシスキーら)の作品や自作を宣伝した。 彼らの創作原理は民衆,それもロシアの民衆のなかに音楽の原点を求めたことに要約される。…
…1804年にペテルブルグでデビューしたイギリスのピアニストで作曲家のJ.フィールドは,その後ロシアに住んで多くの弟子を育て,ロシア・ピアノ楽派の祖となった。 この世代の一連の貴族音楽家のなかでも,最も若い層に属するグリンカとダルゴムイシスキーは,ロシア音楽を国際的な水準にまで引き上げ,その後のロシア音楽の発展に大きな足跡を残した。グリンカのオペラ《皇帝にささげた命》(1836。…
※「ダルゴムイシスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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