ドゥメール(その他表記)Doumer, Paul

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドゥメール」の意味・わかりやすい解説

ドゥメール
Doumer, Paul

[生]1857.3.22. オーリヤック
[没]1932.5.6. パリ
フランスの政治家。第三共和政第13代大統領在任 1931~32)。任期半ばで暗殺者の凶弾に倒れた。1889年ヨンヌ県から急進党の下院議員に選出,1895年財務の専門家としてブルジョア内閣の財務大臣に任命された。国税としての所得税導入に尽力するが失敗し,翌 1896年フランス領インドシナ総督に任命された。最も行動的,かつフランスからみて最も高い実績を上げたインドシナ総督の一人で,ほかの多くの総督と異なり,1897年から 1902年にかけてじっくり腰を据え,かつ明確な目的をもって総督の仕事を務めた。最大の功績は,インドシナのさまざまな部門を率いる行政官に対し総督の強力な支配権を確立したことと,植民地の経済を健全な基盤に乗せたことだった。植民地経済の健全化は本国からは歓迎されたが,現地では住民への厳しい徴税を伴っていたので,根強い反発を引き起こした。1902年下院議員に復帰し,1912年コルシカ島代表の上院議員になった。この間,1903年には "L'Indochine française"を,1906年には "Le Livre de mes fils"を執筆している。1927年から 1931年には上院議長や重要な予算委員会の議長を務めた。また,1921年1月から 1922年1月,および 1925年12月から 1926年3月まで,ブリアン内閣の財務大臣を務めた。1931年5月13日,大統領に選出。国民人気も高く,アリスティード・ブリアンとアンドレマジノの死による政権危機も首尾よく乗り切ったが,ロシア人無政府主義者パベル・ゴルギュロフの放った凶弾に倒れた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ドゥメール」の意味・わかりやすい解説

ドゥメール
Paul Doumer
生没年:1857-1932

フランス領インドシナ連邦の総督,フランス第三共和国大統領。1887年,フランスはサイゴン条約フエ条約等で領有権,保護権を得たトンキン,アンナン,コーチシナ,カンボジア(1899年にラオス)を一括してフランス領インドシナ連邦を建設した。これ以後,鉄道公債を中心に大量のフランス資本がインドシナに流入した。97年,総督に着任したドゥメールは関税制度,塩,アヘン,アルコールの専売制度,物品税制など,間接税制を強化して連邦財政に組み込み,公債支払いを安定化してフランス資本の要請にこたえた。また総督の独裁権を強化すべく行政制度の改革を行い,これは1911年の大統領令によって完成された。そのほかインドシナ連邦行政の骨幹は多く彼の時代につくられた。一方でフランス東洋学研究の一中心となったフランス極東学院を建設し(1898),インドシナ研究の端緒をつくった。1902年に帰国した後,蔵相,上院議長などを歴任,31年に大統領に就任したが,翌32年,パリでロシア人に暗殺された。
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367日誕生日大事典 「ドゥメール」の解説

ドゥメール

生年月日:1857年8月22日
フランスの大統領(1931〜32)
1932年没

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