ハンティントン(英語表記)Huntington, Samuel P.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンティントン」の意味・わかりやすい解説

ハンティントン
Huntington, Samuel P.

[生]1927.4.18. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2008.12.24. マサチューセッツ,マーサズビンヤード
アメリカ合衆国の政治学者。フルネーム Samuel Phillips Huntington。1946年エール大学で学士号,1948年シカゴ大学で修士号,1951年ハーバード大学で博士号を取得。コロンビア大学戦争と平和研究所副所長,ハーバード大学教授,アメリカ政治学会会長などを歴任。研究領域は比較政治学外交政策国際関係論から,近代化政策にまでおよび,軍隊の政治的役割の研究や発展途上国の研究など,さまざまな研究論文を発表した。1996年の主著『文明の衝突』The Clash of Civilizations and the Remaking of World Orderでは,東アジアとイスラム圏の台頭を強調し,冷戦後の国際社会イデオロギー対立に代わって文明の対立が主軸になると論じて注目された。そのほかの主著に『軍人と国家』The Soldier and the State: the Theory and Politics of Civil-military Relations(1957),『変革期社会の政治秩序』Political Order in Changing Societies(1968)などがある。

ハンティントン
Huntington, Ellsworth

[生]1876.9.16. イリノイゲールズバーグ
[没]1947.10.17. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの地理学者トルコのユーフラテス大学講師をつとめ (1897~1901) ,ユーフラテス川峡谷を探検 (01) 。中央アジア旅行 (03~06) ののち帰国し,エール大学で教え (07~17) ,カーネギー財団の研究員 (10~13) として,アメリカ,メキシコ,中央アメリカで気候と文明の関係を調査した。著書に『文明と気候』 Civilization and Climate (15) ,『文明の原動力』 Mainsprings of Civilization (45) がある。

ハンティントン
Huntington, Samuel

[生]1731.7.3. コネティカット,ウィンダム
[没]1796.1.5. コネティカット,ノーウィッチ
アメリカの法律家政治家。独立宣言署名者の一人。 1765年コネティカット植民地議会議員となる。 74年同最高裁判所判事。大陸会議代表 (1776~84) ,同議長 (79~81,83) をつとめる一方,コネティカット参事会員 (75~83) 。独立達成後はコネティカットに戻り,84年邦最高裁判所長官に任命された。のちにコネティカット州知事 (86~96) をつとめた。

ハンティントン
Huntington

アメリカ合衆国,ウェストバージニア州西部の都市。オハイオ川沿岸,オハイオ,ケンタッキー両州との州境付近に位置する。 1871年チェサピーク・オハイオ鉄道が敷設されたときに設立。石炭,石油,天然ガスを産する。鉄道関係施設のほか,ガラスニッケル,電気,セメント,家具,食料品工場がある。数度洪水に襲われたので,町は堤防で囲まれている。州内最古のマーシャル大学 (1837創立) がある。人口5万 4844 (1990) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハンティントン」の意味・わかりやすい解説

ハンティントン
Ellsworth Huntington
生没年:1876-1947

アメリカの地理学者。ウィスコンシンのベロイト大学を1897年に卒業。後にハーバード大学やイェール大学でも学び,学位を得た。トルコのユーフラテス大学で1897-1901年の4年間教師となった。その間にティグリス・ユーフラテス川流域の探検調査を行い,その業績によりイギリス地理学会から賞を得た。以来中央アジアの大規模な探検を数回行い,さらにインドやシベリアにも足を伸ばした。その成果は《アジアの脈動》(1907)となったが,そのなかで彼は中央アジアの古代の国々の興亡は気候変化--気候の乾燥化が大きな因子として働いたという説を打ち出して世界的に知られるようになった。《気候と文明》(1915)はさらにそれを発展させたものである。旧約聖書には今のパレスティナのあたりは,土地が肥沃で人口もきわめて多い豊かな地方であると描かれているが,気候の乾燥化により今日のように人間の住みにくい土地になったし,ギリシアやローマが滅びたのは反対に気候の湿潤化により降水量が増加したためであると主張した。このように気候の変化により文明は中央アジアから中近東へ,さらにヨーロッパへと西進していったという大胆な説は当時大いに注目されたが,あまりにも環境決定論的な(それも気候という要素のみを大きくみた)説明のため,その後は支持が薄れたといわれている。しかし文明度は気候に左右されるという研究,気候変化そのものの研究者としての業績は高い評価を受けている。
執筆者:


ハンティントン
Huntington

アメリカ合衆国ウェスト・バージニア州西部の商工業都市。人口5万1475(2000)。オハイオ川に面した河港都市。周辺地域で産出される石炭,石油,天然ガスを利用したガラス,化学,マットレスや電気機械,金属製品,家具などの工場がある。1796年に最初の定住集落が建設され,1871年にチェサピーク・オハイオ鉄道の終点となってから急速に発達した。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンティントン」の意味・わかりやすい解説

ハンティントン(Elsworth Huntington)
はんてぃんとん
Ellsworth Huntington
(1876―1947)

アメリカの地理学者。ハーバード大学で地形学者デービスに師事したのち、パンペリーに従って、中央アジア・西アジア方面の探検・調査に赴き、氷期以後の気候の乾燥化の証拠を集め、13世紀のモンゴルの中国や東ヨーロッパへの侵略とを関係づけ、1905年には『アジアの脈動』The Pulse of Asiaを著し、帰国後、エール大学の教授に就任した。また1915年には『文明と気候』Civilization and Climateを刊行し、人類文明は刺激的な気候のもとで発展すると論じた。彼の気候環境決定論はのちに批判を受けたが、トインビーの史観などには取り入れられている。

[織田武雄]

『間崎万里訳『文明と気候』(岩波文庫)』


ハンティントン(アメリカ合衆国)
はんてぃんとん
Huntington

アメリカ合衆国、ウェスト・バージニア州西部の商工業都市。人口5万1475(2000)。オハイオ川に面する都市である。周辺地域は石炭、石油、天然ガスの産地で、これらを移出する河港として発展してきた。このような地下資源を利用して、ガラス、化学、マットレスの工場や電気機械、金属製品、家具などの工場がある。1796年に集落が建設され、1871年にチェサピーク‐オハイオ鉄道の終点となってから急速に発達した。

[菅野峰明]

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百科事典マイペディア 「ハンティントン」の意味・わかりやすい解説

ハンティントン

米国の地理学者,気候学者。イェール大学教授。ティグリス・ユーフラテス川流域,中央アジアなどを探検。著書《アジアの脈動》(1907年)中で,中央アジアの気候乾燥化と古代の国々の興亡との間に因果関係をみいだす説を打ち出した。その後も気候と文明の関連につき環境決定論的な仮説を提出し注目をあびたが,あまりにも気候という要素のみを過大視しすぎた説であったため,その後はあまり支持されなくなった。他の著書に《気候と文明》《文明の源泉》など。

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367日誕生日大事典 「ハンティントン」の解説

ハンティントン

生年月日:1876年9月16日
アメリカの地理学者
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハンティントンの言及

【ローマ没落史観】より

…ギボンが強調した宗教的要因は,近年モミリアーノA.Momiglianoによりキリスト教会への最良者の吸収という形で再評価された。自然科学的方法の援用は,19世紀末から20世紀初頭にかけて,地力消耗を没落原因とするJ.vonリービヒやシンコービチG.Simkhovitch,気候変動と没落の関連を説くE.ハンティントンらの自然的要因を重視する見解を生んだが,これらに対してはM.I.ロストフツェフによる鋭い批判がある。医学や生物学の進歩は人間的要因にも目を向けさせ,ゼークO.Seeckの〈最良者の絶滅〉論,人種混交によるローマ市民団の劣性化を説くフランクT.FrankやニルソンM.P.Nilssonの説を生んだが,これらも厳しい批判を浴び,ことにナチズムによる罪禍ののちは影を潜めた。…

※「ハンティントン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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