ハンムラピ法典(読み)ハンムラピほうてん

改訂新版 世界大百科事典 「ハンムラピ法典」の意味・わかりやすい解説

ハンムラピ法典 (ハンムラピほうてん)

バビロン第1王朝第6代の王ハンムラピによって制定された楔形文字法典。オリジナルは高さ2.25mのセン緑岩製の石碑(ルーブル美術館蔵)に刻まれている。この石碑はフランスの発掘隊により1901年スーサで発見された。元来バビロンかシッパルにあったと思われるが,エラムのバビロニア攻略の際,戦利品としてスーサに持ち去られたものであろう。スーサからはほかに同法典が刻まれた玄武岩製石碑の断片もいくつか発見されていることから,ハンムラピ法典が記された石碑はバビロン王国内の主要都市に建立されていた可能性がある。本法典の粘土板(断片を含む)は各地から発見されており,その数は30を超える。本法典より古いものとしては,ウルナンム法典(前22~前21世紀),リピトイシュタル法典(前20世紀),エシュヌンナ法典(前19世紀)などがあるが,いずれも古バビロニア時代の不完全なコピーを通して知られているにすぎない。

 本法典は上記諸法典と同様,前書,条文,後書の3部分からなる。前書では,天上でバビロンの主神マルドゥクが神々の王として選定されることから記述が始まり,ハンムラピがマルドゥク神の委託を受けて人々を導き教えるために〈法と正義を確立した〉と締めくくられる。この後条文が続くが,その内容は,1~5条が証拠不十分の訴訟,偽証,不正な裁判官など,訴訟そのものにかかわる条項,6~25条は窃盗,強盗にかかわる条項で,8条以外はすべて死罪を扱う。26~41条は王に対して兵役その他の奉仕義務を負う者に関する条項,42~58条は畑の小作契約および灌漑施設の使用,59~65条は果樹園の小作契約および果樹園の担保設定等に関する条項,A~K条は家屋に関する条項,L~U条および100~107条は商人に関する条項,108~111条は居酒屋の女主人に関する条項,112~126条は運搬業務に伴う保証,債務関係処理にかかわる問題,保管などに関する規定,127条はエントゥム女神官や夫をもつ婦人に対する中傷にかかわり,128~149条は婚姻,離婚,150~152条は妻の権利,153~158条は性道徳,159~161条は婚約,162~184条は相続,185~193条は養子縁組等にかかわる条項がそれぞれ定められている。194~214条は傷害罪,215~227条は外科医,獣医理髪師,228~233条は大工,234~240条は船頭等の職業上の責任をそれぞれ規定する。241~277条は種々の賃貸料,賃貸にかかわる罰則を定め,278~282条は奴隷にかかわる規定である。後書は,碑に書かれていることを守る者には長寿が与えられ,碑を直接間接に損なう者には神々の呪いがあるようにとの祝福と呪いで終わっている。

 形式は総じて決疑法形式であるが,36,38~40,187の各条は断言法と考えられる形式をもっている。より古い法典に比べて,極刑が多いこと(1~25条など)や同害復讐の考え方(196~210条)がみられることが本法典の特徴である。身分により刑量が異なる点はエシュヌンナ法典の場合と同じである。ハンムラピ法典の性格についてはいろいろ議論があるが,なかでもこの文書が実際に法的強制力をもった〈法典〉であったかどうかについて,P.コーシャカー,B.ランツベルガー,F.R.クラウスら否定的見解を述べる研究者が多い。これは当時の裁判記録に本法典の条文に対する言及や引用がみられないこと,実際に適用されたことを示す証拠がないこと,条文によってカバーされていない分野が多いことなどにもよる。ここでは〈法典〉というよりも,いわば最高裁判官としての王の〈判例〉を集めた一種の〈便覧〉とみるクラウスの考え方に従っておきたい。
楔形文字法
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百科事典マイペディア 「ハンムラピ法典」の意味・わかりやすい解説

ハンムラピ法典【ハンムラピほうてん】

ハンムラピ王が発布した,模範判決を体系化した楔形(くさびがた)文字法である。1901年スーサで法文を劾みこんだ石柱が発掘された。全282条。私法を中心に広範な規定を置き,同害報復(〈目には目を,歯には歯を〉など,タリオの原則)の復讐(ふくしゅう)刑罰や刑罰の身分的差別はあるが,生活必需品差押禁止など人民の福祉にも留意している。古代オリエント法の頂点に位置し,また後世に大きな影響を与えた。
→関連項目シャマシュ宗教法スーサバビロニア語モルガン

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世界大百科事典(旧版)内のハンムラピ法典の言及

【医学】より


[メソポタミアの医学]
 メソポタミアの古代国家はいずれも多神教と深く結びついている。医療技術者は宮廷周囲に集められて上述のような任務を与えられたが,医療過誤についての罰則規定もあったことがハンムラピ法典の中にみえている。興味あることは,まとまった症状を呈する重要な疾病は,それぞれを神の名において命名されていたことで,たとえば,ペストは〈ナムタルウ神〉,流行病は〈ウルガル神〉〈ネルガル神〉,熱性頭痛は〈アサックウ神〉などである。…

【解剖学】より

…人類の知恵がある水準にまで達し,医学的な関心をもって人体解剖が行われるようになったのはおそらくエジプト文明以後であろう。バビロニアのハンムラピ法典にはかなりの解剖学的知識を要する外科手術論が書かれており,メソポタミアには前2000年ころに作られたと推定される肝臓の陶製模型があり,またエジプトで前1700年ころに書かれた《エドウィン・スミス・パピルスEdwin Smith papyri》は外科学の貴重な文献である。このころ人体の解剖はすでになされていたと推測される。…

【楔形文字法】より

…法の制定もこの理念の具体化のひとつとして理解されていた。たとえばハンムラピはその法典(ハンムラピ法典)の後書きで次のように言う。〈係争に巻き込まれ抑圧されている者は私の彫像《正義の王》の前に来て,私の碑文を読み,貴い言葉を聴くように。…

【手術】より

…石器時代には,このような原始的,初歩的な手当を含めて,骨折,創傷などに対していろいろの処置が行われたであろうが,それだけでなく石器を使って瀉血(しやけつ)したり骨に穴をあけたり,またヘルニアの治療や陰茎切断など,今日の外科手術にあたるようなものまで行われていたように思われる。時代ははるか下るが,前18世紀のバビロニアのハンムラピ法典には,外科医の手術に対する報酬のことが記載されている。古代エジプトでも,創傷,骨折,脱臼など日常生活のうえで避けることのできないけがや,刑罰的あるいは宗教的色彩をもった去勢,包皮環状切開などの手術や,腫瘍摘出などの外科的治療が目覚ましい進歩をとげていた。…

【ハンムラピ】より

…しかしこれは,ハンムラピがその晩年に獲得した広大な領土の支配にふさわしい行政組織をもたなかったことをも意味している。彼の名を有名にしたのはハンムラピ法典である。現在ではこれを〈最古〉の法典とも,厳密な意味での〈法典〉とも呼べなくなったが,しかし,この種の文書としては最も総括的でかつ完全に近い形で残っていること,またその後長くまた広く本法典の書写がなされ続けたことなどの点で,なおハンムラピの特筆に値する業績であったと考えることができる。…

【メソポタミア】より

…ラルサはリムシン時代にイシンを併合し,中・南部バビロニアを支配していたが,ハンムラピはマリと同盟するなどして国力を蓄え,ついにラルサを破り,メソポタミア南部を統一した。治世晩年に成立した〈ハンムラピ法典〉は,シュメール法とアムル慣習法の融合を示す。次王サムスイルナのとき諸市が反乱し,反乱鎮圧直後に諸市は経済混乱に見舞われ,ウル,ラルサ,ニップールなどは放棄された。…

※「ハンムラピ法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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