デジタル大辞泉
「モルガン」の意味・読み・例文・類語
モルガン(Lewis Henry Morgan)
[1818~1881]米国の人類学者・社会学者。アメリカ先住民のイロコイ族の養子となり彼らの親族組織・制度を研究。エンゲルスなどに影響を与えた。著「古代社会」。モーガン。
モルガン(John Pierpont Morgan)
[1837~1913]米国の実業家・金融資本家。モルガン商会を興し、鉄鋼・鉄道をはじめ諸産業を支配する財閥を築いた。モーガン。
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モルガン
- [ 一 ] ( John Pierpont Morgan ジョン=ピアポント━ ) アメリカの実業家。金融・鉄道・鉄鋼事業に携わり、特に南北戦争で巨利を得、モルガン財閥をつくりあげた。(一八三七‐一九一三)
- [ 二 ] ( Thomas Hunt Morgan トマス=ハント━ ) アメリカの遺伝学者。ショウジョウバエの遺伝を研究して、遺伝子説を確立した。一九三三年ノーベル生理学・医学賞受賞。著「発生学と遺伝学」。(一八六六‐一九四五)
- [ 三 ] ( Lewis Henry Morgan ルイス=ヘンリー━ ) アメリカの文化人類学者。アメリカ‐インディアンの社会を研究し、進化論の立場に立って、原始社会の発展を体系づけた。主著「古代社会」は、エンゲルスなどに大きな影響を与えた。(一八一八‐八一)
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モルガン(Lewis Henry Morgan)
もるがん
Lewis Henry Morgan
(1818―1881)
アメリカの人類学研究者。民間人であったが、近代社会人類学の親族体系を中心とした研究の基礎を築いた偉大な先駆者として高く評価されている。ニューヨーク州生まれ。弁護士を本業としてロチェスターで活躍したが、実業家でもあり州議会議員をも務めた。早くから先住民(ネイティブ・アメリカン)の正しい理解に関心をもち、先住民からの不当な土地買収を阻止させたことなどもあって、イロコイの一支族のセネカで養子の身分を得るまでになった。こうして先住民の社会について実地の見聞を深めるとともに、広く世界各地の未開社会にも考察を及ぼすようになった。モルガンの業績の主要なものとして、イロコイの政治組織を分析した優れた民族誌の『イロコイ同盟』(1851)、実地調査によるとともに世界各地から収集した資料を利用し、親族および親族名称の体系を比較分析し、学史的にはもっとも重要な『人類の血縁と姻戚(いんせき)の諸体系』(1871)、19世紀後半の一線的社会進化論を軸にして、総合的に人類文化の諸側面――技術、統治、家族、財産など――の発達を描こうとした『古代社会』(1877)、先住民についてまとめた『アメリカ先住民のすまい』(1881)などがあげられる。このなかで『古代社会』だけが広く知られるようになったが、発展段階図式に都合の悪い事実が落とされて整理されていること、あるいはエンゲルスが注目して、その著『家族、私有財産および国家の起原』などに引用したことなどによっていると考えられる。
[小川正恭 2019年1月21日]
『古代社会研究会訳『アメリカ先住民のすまい』(岩波文庫)』▽『『古代社会』全2冊(荒畑寒村訳・角川文庫/青山道夫訳・岩波文庫)』▽『山室周平著『モーガン』(1960・有斐閣)』▽『『モルガン「古代社会」の内幕』(『馬淵東一著作集 第1巻』所収・1974・社会思想社)』▽『蒲生正男著『モルガンの理論』(『現代文化人類学のエッセンス』所収・1978・ぺりかん社)』
モルガン(John Pierpont Morgan)
もるがん
John Pierpont Morgan
(1837―1913)
アメリカの金融資本家、モルガン財閥の始祖。富裕な金融業者ジュニアス・モルガンを父にコネティカット州ハートフォードに生まれる。ドイツのゲッティンゲン大学に学んだのち、ロンドンで父の営む金融会社に入り実務経験を積んだ。南北戦争では北軍への軍需品調達で巨利を博し、1871年、のちモルガン商会と称されるに至る金融会社を設立した。以来、政府公債の引受けや外国資本の導入、鉄道や工業への資金調達で活躍したほか、世紀転換期にはUSスチールをはじめとする大型合併に関与することによって産業分野への支配力を強化し、その影響力を背景にウォール街の指導者として君臨した。彼の企業活動には、反トラスト法違反のかどによる持株会社の解散や議会調査委員会への喚問など反社会的と目される面が少なからずある一方、慈善事業に多額の寄付を行ってもいる。死後、所蔵美術品の大部分がニューヨークの美術館に寄贈された。
[小林袈裟治]
『小原敬士著『モルガン』(『20世紀を動かした人々9』所収・1962・講談社)』
モルガン(Michèle Morgan)
もるがん
Michèle Morgan
(1920―2016)
フランスの映画女優。パリ近郊に生まれる。15歳から映画のエキストラを勤め、演劇学校に通い、『霧の波止場』(1939)でジャン・ギャバンと共演して大スターになった。『田園交響楽』(1946、第1回カンヌ映画祭女優演技賞)、『落ちた偶像』(1948)、『狂熱の孤独』(1953)、『夜の騎士道』(1955)、『マリー・アントワネット』(1955)、『非情』(1957)、『名誉と栄光のためでなく』(1966)などに主演。品格のある美貌(びぼう)は日本でも人気が高かった。1970年代以降は舞台に立ち、映画では『みんな元気』(1991)に姿をみせた。
[日野康一]
モルガン(Claude Morgan)
もるがん
Claude Morgan
(1898―1966)
フランスの小説家。第二次世界大戦中、レジスタンス文学の作家として登場。『人間のしるし』(1944)や『羅針盤のない旅行者』(1950)などのなかで、被占領体験に基づく強いヒューマニズムの精神と平和への願いを表明した。占領中から『レットル・フランセーズ』紙の編集に参加、戦後は世界平和評議会の機関誌の編集長を務めた。
[稲田三吉]
モルガン(Charles Langbridge Morgan)
もるがん
モルガン(Thomas Hunt Morgan)
もるがん
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モルガン
Jacques de Morgan
生没年:1857-1924
フランスの考古学者。西アジアにおける先史文化の存在とその編年の大綱を明らかにした。中部フランスに生まれてパリの鉱山学校で学び,探鉱者としてマラッカなどを調査してのち,カフカスやイランの科学調査を指揮して1892年にエジプト古物局長官に任命され,97年まで多くの遺跡を発掘した。とくに重要なのは,ナカダNaqadaで第1王朝のマスタバを発見し,その構造と大きさを正確に示したことである。97年イランに渡ってスーサの層位的発掘を始めるとともに,調査年度ごとに刊行される概報と,遺跡や問題ごとの詳細な検討を加えた内容の本報告を出版して,バビロニアにおいて層位的発掘が始まる1930年ころまで,メソポタミア先史時代の編年に基準を提供した。この功績によって,レジヨン・ドヌール勲章などを授与された。また該博な知識を基礎に先史時代あるいは文明の起源に関する概説書や方法論についての書物も刊行して考古学界に大きく寄与した。なかでも,その提唱は古いけれどもなお不明確であった中石器時代の概念を人類文化史の中に定着させた功績は,スーサ発掘のそれに優るとも劣らないものである。
執筆者:小野山 節
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モルガン
Morgan, J(ohn) P(ierpont)
[生]1837.4.17. アメリカ合衆国,コネティカット,ハートフォード
[没]1913.3.31. イタリア,ローマ
アメリカ合衆国の大金融資本家。ドイツのゲッティンゲン大学で学び,1857年ニューヨークのダンカン・シャーマン商会に入社,1960~64年父 J.S.モルガンがパートナーだったジョージ・ピーボディ商会と,それを引き継いだ J.S.モルガン商会(ロンドン)のニューヨーク代理人として金融界で活躍。1871年ドレクセル・モルガン商会のパートナー,1895年同商会を傘下に収めて J.P.モルガン商会を創設。投資銀行家として合衆国政府債の引受業務,アメリカ鉄道界の再編成と安定化,ユナイテッド・ステーツ・スチール,ゼネラル・エレクトリック,インターナショナル・ハーベスターなどの巨大会社の実現に成功,アメリカ金融界の中心人物,経済力集中のシンボルとなった。1912年にはアメリカの主要 47会社の 72の重役の椅子をモルガン商会のパートナー 11人が占め,モルガン財閥を形成した。病院,教会,図書館,美術館にも莫大な金を寄付した。
モルガン
Morgan, Claude
[生]1898.1.29. パリ
[没]1980.11.12. オルレアン,ロアール
フランスの小説家,ジャーナリスト。対独レジスタンス運動から文学の世界に入った。『レットル・フランセーズ』 Les Lettres françaises紙の創刊に尽力,のち編集長をつとめた。「深夜叢書」の1冊として出した『人間のしるし』 La Marque de l'homme (1944) をはじめ,『羅針盤のない旅行者』 Le Voyageur sans boussole (51) など。
モルガン
Morgan, Michèle
[生]1920.2.29. ヌイイシュルセーヌ
[没]2016.12.20. ムードン
フランスの映画女優。マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』(1938)でジャン・ギャバンと共演,一躍名が知られた。1946年,アンドレ・ジッドの小説を原作とした『田園交響楽』で盲目の主人公を演じ,第1回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した。1969年レジオン・ドヌール勲章を受章。
モルガン
Morgan, Jacques de
[生]1857.6.3. ロアールエシェール
[没]1924.6.12. マルセイユ
フランスの考古学者。オリエント先史考古学の先駆者。メンフィス (エジプト) で遺跡調査を行い,スーサ遺跡 (イラン) ではハンムラビ法典碑文やエラム史料を発掘した。主著『オリエント先史考古学』 La Préhistoire orientale (3巻,1925~27) 。
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モルガン
フランスの考古学者。地質学を学んだのち考古学に転じ,エジプトで石器時代,王朝時代を研究。1897年―1900年フランスのペルシア考古学調査団長としてスーサの発掘を指揮,この時ハンムラピ法典を発見した。また,1909年,旧石器時代と新石器時代の中間に中石器時代という明確な時代概念を提唱したことでも知られる。主著《オリエントの先史》《先史時代の人間》。
→関連項目カンピニー文化
モルガン
英国の小説家。海軍に入り第1次大戦で捕虜になる。大学卒業後タイムズ社に入社。批評集《鏡にうつる姿》(1929年)と戦争体験をもとにした小説《泉》(1932年)によって認められた。以後《スパーケンブルック》(1936年)ほかの小説,戯曲《日取りレンズ》(1953年),評論集《精神の自由》(1951年)など。
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モルガン(ジョン)
John Pierpont Morgan
1837〜1913
アメリカの実業家
父祖の財産を受けつぎ,19世紀後半から頭角を現し,1905年モルガン商会を設立。この間に有力鉄道・鉄鋼業(1901年カーネギー製鋼を買収してUSスティール会社を設立)・鉱業・海運業・銀行など,多くの産業を融資を通して支配し,アメリカ最大の財閥として産業界・金融界に君臨した。
モルガン(ルイス)
Lewis Henry Morgan
1818〜81
アメリカの民族学者
先住民インディアンの研究から原始共同体の理論的解明に大きく寄与した。その著『古代社会』(1877)は,エンゲルスの『家族・私有財産および国家の起源』に直接影響を与えた。
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のモルガンの言及
【中石器時代】より
…1865年にJ.ラボックが,旧石器時代と新石器時代の2時期に石器時代を細分したのち,翌66年にウェストロップH.Westroppが小型の打製石器の時代として,中石器時代を加えたのが最初である。その後,モルガンJ.de Morganによって,明確な時代概念が与えられた。典型的な形でみられるのはヨーロッパとオリエント地域であるが,世界的な石器の小型化や水産資源の利用の拡大を一つの流れとみなし,必ずしも同一の内容をもつわけではないが,中石器時代という区分がその他の地域でも用いられている。…
※「モルガン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」