劇作家,詩人。東京神田生れ。弟に小説家の幹彦がいる。医師の父の跡を継げずに,中学時代から詩作をはじめ,同級の木下杢太郎と新詩社を経て,パンの会を作り,《スバル》《屋上庭園》に詩と戯曲を発表していたが,1910年発表の《歓楽の鬼》が自由劇場で上演され,劇作家の地位を築いた。イプセンの影響が顕著だが,15年にはチェーホフ的な味のある《飢渇》を発表,20年に5幕の大作史劇《大仏開眼》に仏師公麻呂と恋人葛城郎女(かつらぎのいらつめ)を主人公にした政治と芸術の葛藤を描き,好評を得た。芸術座,新劇協会,市村座に協力したが,34年に新協劇団幹事として参加,回想録《新劇の黎明》(1941)で知られるように,新劇界の長老として仰がれた。
執筆者:野村 喬
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明治〜昭和期の詩人,劇作家,小説家
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詩人、劇作家。東京生まれ。幹彦(みきひこ)の兄。独協中学を経て明治大学に学ぶ。少年時代より詩作を好み、『明星』に詩を発表。1909年(明治42)木下杢太郎(もくたろう)、北原白秋(はくしゅう)と雑誌『屋上庭園』を創刊。イプセンの影響下に戯曲を書き、『歓楽の鬼』(1910)が自由劇場で上演され、劇作家として注目を浴びた。耽美(たんび)派から写実主義に転じたが、戯曲『飢渇(きかつ)』(1915)や文化史劇『大仏開眼(だいぶつかいげん)』(1920)が代表作。1920年代に市村座に入り、1934年(昭和9)には秋田雨雀(うじゃく)と新協劇団の顧問となり、新劇界の長老として重きをなした。
[藤木宏幸]
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